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紺碧の将
Interview Blog Vol.55

アナログな人間の生命力にスポットを当てる。

照明家岩下由治さん

2018.09.01

 スポットを当て続けて40余年。役者が一番輝ける光を生み出すと、業界から引っ張りだこの岩下さん。初回から現在まで30年以上も関わっている横浜国立大学でのダンス公演は、照明だけでなく、作品作り、演出や企画も担当しています。それ以外にも、さまざまな舞台で照明家として活躍しています。

 時代はアナログからデジタルへと移り変わってはいるものの、人間の本質は今も昔も変わりなく、生命力がほとばしる舞台は美しいと岩下さんは語ります。こだわりは生々しさ。呼吸や温度、匂いまでもが伝わってくるような舞台となるよう、一筋の光にもこだわります。

偶然出会った「照明」という天職

岩下さんは弊社高久とも長いつき合いがあるそうですね。岩下さんのことを「アブラハル・ガンゲ」と言って笑っています。「由治」の「由」に間違って「氵」をつけてしまい「岩下油治(あぶらはる)」で、「アブラハル・ガンゲ」なんだと。岩下さんの顔を原寸大でプリントし、それでお面も作ったみたいですね(笑)。

 彼は僕をいじって遊ぶのが好きなんです。昔から僕は遊ばれている。まあ、僕も同じようなもんですけどね。似た者同士なのかな。

長年、照明家として第一線でご活躍だとうかがっています。舞台の役割もいろいろある中で、なぜ照明を選ばれたのですか。

 選んだというか、たまたまそうなった、という方が正しいですね。高校生のとき、僕は演劇部に入っていて、2年になって先輩たちがいなくなると恒例の裏方仕事が自分たちに回ってきた。そのときに仲間たちとジャンケンで何をやるかを決めたんです。舞台美術、音響など、人気のあるものは先に決まる。僕は負け続けて、残ったのが照明だった。照明なんてやったこともないですからね。まったくわからなくて、照明の技術を教えてもらおうと当時宇都宮にあった大きなホールに行きました。ところが門前払いです。当然ですよね。高校生がいきなりやってきて照明を教えてくれって言うんですから。でも僕は、あきらめずに何度も通った。何度目かにようやく相手が折れて、中に入れてくれました。

情熱が伝わったのでしょうね。すぐに教えてもらえたのですか。

 とんでもない。最初は片付けからです。「あれを片付けろ!」って言われると、「わかりました」って、わけもわからず言われたことを必死でやりました。それでも、やることはいっぱいあるから時間内にはなかなか終わらない。すると、突然、会場がフッと真っ暗になった。終了の時間がきて、師匠が電源を落としたんです。もう、びっくりですよ。突然、目の前も足元も真っ暗になって、まったく何も見えない。今みたいに非常灯なんてないですからね。本当の暗闇です。とたんに全身が総毛立った。不思議なもので、視覚が機能しなくなると、他の感覚が敏感になるんですね。嗅覚が鋭くなって、舞台から立ち上る汗や埃混じりの匂いが急に鼻をついた。その匂いがいまだにわすれられない。たぶん、そのときの記憶があまりにも鮮明で、ずっとそれを味わっていたくて、照明を続けているような気がします。

演劇の世界へ導かれる

演劇に興味をもったのはいつからですか。

 小学校4年生のときに、担任の先生から演劇に連れて行ってもらってからです。僕は北九州の小倉生まれなんですが、父親の転勤で四年生のときに宇都宮に引っ越しました。そのときの小学校の担任がその女性の先生で、演劇好きで労演にもよく行っていたらしいです。なぜか、僕はその先生に気に入られて、たびたび演劇に連れて行ってもらいました。あるとき、先生に誘われて行った鈴木光枝主催の文化座の舞台で、エキストラに選ばれて、初めて舞台に上がりました。

いきなりエキストラに抜擢ですか。

 ええ、まあ、いきなりというか、どうやらエキストラの子役を探していたようで、連れて行かれて並ばされると、本人から「はい、あなたとあなた」と、僕ともう一人、小さな女の子が選ばれたんです。祭りのシーンで、セリフはありません。舞台後方の土手の上を二人手をつないで現れる、という役です。おもしろかったですね。以降、プロの劇団員たちとの交流が始まりました。

それから演劇を始めたのですか。

 いいえ、中学校はテニス部で、高校で演劇部に入りました。というのも、高校は硬式テニスだったから僕の体格じゃ無理だと思ったんです。中学は軟式だったからまだよかったんですけどね。あきらめて演劇部に入った、というわけです。

 それが僕には合っていたみたいです。まだ新しい高校だったこともあって、演劇部に部室はなく、図書館の裏の森林が僕たちの部室件稽古場でした。演劇部は大きな声も出すので、かえって好都合でしたね。先輩には優秀な人も多く、卒業生の中にはプロになった人も何人かいます。1年生のときには、秋の芸術祭で僕たちは芸術祭賞に選ばれたんですよ。

1年生で芸術祭賞とは驚きです。やはり、芸術方面に才能があるのですね。

 ただ、あれには理由がありました。もともと僕は九州出身ですから、意識して標準語を喋るようになったんです。だから、栃木訛りがなかった。どうやらそれがよかったみたいです。

 そのときは個人演技賞も受賞していたらしいんですけど、僕は授賞式の日に39度の熱を出して式を欠席しちゃったから、それも本当かどうかわからない。というのも、その年からその賞が取りやめになったといって、賞はもらえなかったんです。芸術祭賞のトロフィーも見ていないしね。後日、そのトロフィーはあまりに立派だったから、プレートを取り替えられて剣道の賞に使われたと聞きました。

 あのときの賞は、なんだったんでしょうね。優勝の盾も賞状も見たことがない。幻の賞ですよ。

戦わずして道を極める

2年生になって裏方の照明をするようになった後は、役者としては舞台に立たなかったのですか。

 ほとんど裏方ですね。毎日、指導を受けにそのホールに通っていましたし、手伝いも増えて、照明の仕事が忙しくなっていました。学園祭のときは、近隣の学校へ照明の手伝いに行ったり、プランも立てるようになって。

 それ以外にも、高校生でありながら越路吹雪のコンサートの手伝いや、日生劇場など、プロの照明家たちと一緒に仕事をしていました。

 照明の指導をしてくれた先生から「アルバイトをするか」と言われ、オスカー・ピーターソンのジャズコンサートで、初めてピンスポットを任されたときは嬉しかったですね。

高校生ですでにプロの道を歩み始めていたということですね。普通では願ってもできないでしょうが、岩下さんの話を聞いていると、自然な流れでそうなったという感じです。

 僕はただ、任されたことを真面目にやっていただけです。能力を超えたことはできないけれど、自分がやれる限りのことは一生懸命やる。昔から、頼まれたり任されたことは嫌とは言わないで、真面目にやっていました。

 皿洗いのアルバイトをしたときも、夢中になってやっていましたよ。おばさんたちに「岩下くんは真面目だね」なんて言われて。でも僕は、誰かと競争しているわけじゃない。ただ、自分がどこまでできるかを試すのが楽しいだけなんです。

なんとなくその気持ちはわかります。ただ、どの世界も勝負はつきものですよね。

 なんでもプロはいるし、その人たちにはかなわないでしょう。僕は、その道のプロと同じことはできないしやろうとは思わないけど、そのうちのこの部分なら自分もできるんじゃないかと思うと、その部分をとにかく一生懸命がんばります。

 照明にしても、バレエならバレエ専門の超一流はいる。そいう人たちと張り合おうなんて思わないし、これまでそんな風に思ったことがない。というより、勝つことに興味がない。それよりも、自分にしかできない照明、自分だけのアプローチを考えます。

デジタル社会で生きるアナログ人間の普遍性

照明にもいろいろあるのですね。

 たくさんありますよ。オペラやコンサートなんかの照明はすごいと思いますし、やろうと思えばできるけど、僕は自分の領域で最大限のことをやるだけです。今流行っている照明技術にしても、別に使いたいとは思わない。デジタルで魅せる照明とかね。

 今はデジタルの時代で、世の中はデジタルのもので溢れていますよね。華やかで驚きのあるものが人気で、アナログのものはもう古いとか言われているけれど、僕はそうは思わない。

 たとえば、僕はクラッシック音楽が大好きなんですけど、昔からあって今に残っているものはたくさんある。それは人がそれを求めているからだし、そもそも受け取る側の人間は昔も今も変わらずアナログです。

 人間が生きている限りアナログはなくならないですよ。AIに体を乗っ取られない限りね(笑)。

 つまり、色も音も、香りもすべて、人間の目や耳や鼻といった感覚器官で感じているわけで、どんなにデジタルが進んでも、最終的にはアナログで受け取っています。デジタルは歪みをなくすためのものですが、表現はアナログです。

 僕も機械は使っていますよ。でも、感受するのはアナログです。どんなにデジタルの世の中になろうが、人間がアナログであることは変わりません。

人類の起源を遡ってみても、人間の機能は変わっていませんね。

 僕は、40年以上、照明や舞台に関わってきて、昔はよく舞台も観に行きました。でも、今はあまり観にいきたいとは思わないですね。というのも、昔は表現そのものが生命で溢れていました。舞台そのものが生命力だった。たとえば、蜷川幸雄の舞台、あれは役者も照明も音響も、それぞれが自分たちの最高の演技をして一体になっていた。そこに観客ものめり込んでいた。あの空間すべてが生命力の塊だったんです。でも今は、役者は自分の技量じゃなく照明に頼る、照明は派手な演出をして目立とうとする。そういう舞台があまりに多い。一流の役者であれば、本当は照明なんていらないんです。必要以上に光をあてれば、舞台はきらびやかで、なんだかすごいものを観ているような気分になるけど、本当の照明はそうじゃない。

本当の照明とは、どういうものですか。

 そもそも舞台というのは屋外からはじまったんですよ。つまり、照明は自然の光だったんです。太陽であり、月であり、木漏れ日だった。考えてみてください。舞台が地球だとすると、照明は太陽です。太陽は動きませんよね。動いているのは地球です。だとすると、スポットがあたる場所はつねに変わるわけですよ。それなのに、ずっと役者だけにスポットが当たるのはおかしいでしょう。そういう意味で、今の舞台は生命と乖離しているように見える。

 地唄舞の大家であった武原はんお師匠さんの舞台は、本当にすばらしかったです。照明はフラットでごくわずかにもかかわらず、彼女の演技は生命力に溢れていて際立っていた。

 なんでもそうでしょう。自分たちの生命力が生き生きしているのが絶対条件。そこには生き生きした感受性がありますからね。

過剰な照明でないと舞台がわからないというのはおかしいと思います。わからなくてもいいんです。目の前の相手に敬意を払えるかどうかが問題。僕は何もデジタルを否定しているわけじゃないんですよ。そこに必要性があれば使えばいい。だけど、そればかりに頼るのは違うんじゃないかって思います。演技でもなんでも自分たちの技量が前提で、機械はツールですからね。

では、今のデジタルの時代をみてどう思いますか。

 なんとなく、一つの時代が終わろうとしているような気がしますね。だけど、演出と人間の本質は変わらないです。

高校生のときに思ったんですよ。アマチュア時代の五輪真弓や井上陽水を舞台で見たとき、「ああ、彼らに照明はいらないな」と。それくらい、彼ら自身が輝いていた。もし、どうしても照明が必要なのであれば、その人たちを壊さない光にしないとダメ。今のミュージカルやコンサートは照明が過剰すぎるでしょう? 照明というのは誰かの邪魔をしちゃいけない。照明は主役ではないんですから。照明家が自分の存在を確保するには、無私を貫くしか方法はないんです。

 それともう一つ、受け取る側の観客にも問題があると思います。自分の感覚じゃなくて、誰かがいいと言ったからとか、流行っているからという理由で飛びつく人が多いでしょう? だから、そのものに敬意が払えなんです。本当に自分が好きなら、時間もお金も、自分のすべてをかけてでも愛情を注げると思います。デジタルの時代になって便利になったように見えますが、かえって複雑になりすぎて不便になっているし、人間は本当に大切なもの、感受性とか生命力といったものを失いつつあるのではないかと思います。

今後、チャレンジしたいことはありますか。

 生あかり、でしょうか。自然光とまではいかないけど、それに近いもの。若いダンサーたちの生命力あふれる感性や肉体が美しく見えるような作品を作り続けたい。タイトな照明をつかったモダンダンスなどもいいですね。

(※ メインの写真:肩の手術をして現在療養中。舞台の写真は、岩下さんが照明や演出を担当したもの)

 

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