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紺碧の将
Interview Blog Vol.51

歩けない体になったことで、大きな翼を手に入れました。

株式会社オーリアル 代表取締役大塚訓平さん

2018.07.21

 

株式会社オーリアルは栃木県宇都宮市の事業用不動産を専門に取り扱う会社としてスタートしました。創立者であり代表取締役の大塚さんは会社が軌道に乗ったちょうどそのとき、突発的な事故によって下半身の自由を失ってしまいました。しかし、失ったものよりも得たものの方が多いと大塚さんは言います。ひたすら前を見て進む。車いすの青年実業家が歩んできた道とは、そしてこれからの目標は何かを聞きました。

あえて厳しい環境に、起業までの道のり

大学卒業後、東京で分譲マンションを販売する会社に勤められていますが、それは起業することを見据えての選択だったのですか。

 そうですね。大学生の時から起業すると決めていました。それで2つ条件を付けて就職活動をしたんです。

 1つめは厳しい環境であること。父から最初の勤め先は厳しい環境を選べと言われていたからです。厳しい環境で働くほど、あとからどんな困難がきても立ち向かっていける力になるという意味だと思います。2つめは給料が高いこと。起業するために真っ先に考えたのはお金を貯めることでした。

 その条件で大学の就職課に相談をして、それなら不動産業界で特にマンションデベロッパーがいいんじゃないかって言われて、その業界を選びました。

起業を見据えての会社勤めにもかかわらず一日300件の飛び込み営業や700件の電話営業、ものすごい働きぶりだったそうですね。

 起業が前提なので長くは勤められません。面接の時も3年か5年で辞めますとあらかじめ伝えていました。そんな条件にもかかわらず内定を出してくださり、感謝しかありませんでした。そのかわりしっかりと売上を立てますと約束をしたんです。

 今ではブラック企業とか言われてしまうかもしれませんが、厳しい環境の中でそうやって頑張ったおかげで営業の心構えや経験を得られましたし、仕事の面白さも教えてもらえたと思います。

その経験を経て地元で起業。7年ぶりに宇都宮市に帰ってきたんですね。

 久しぶりに宇都宮駅に降りた時、衝撃を受けました。僕の知ってる宇都宮じゃないって(笑)。駅前にあったデパートが撤退していて……。その時、生まれ育った大好きな宇都宮のためになる仕事をしようと思ったんです。それで不動産を通してまちづくりや、まちおこしを行う事業をはじめました。

起業してからの手応えはどうでしたか。

 起業前は根拠のない自信があったんです。俺ならできるみたいな(笑)。でも実際に始めてみると、自信は脆くも崩れ去りましたね。当初は「オー・リアルホーム」という名前だったのですが、横文字がそもそも駄目だったと思いました。なんの会社かわかりづらいんですよね。名刺も凝ったデザインでオシャレに作ったのですが、それも逆効果で、営業に行っても怪しい人物に見られてしまう。

 地元での実績はないし、お客様にお会いできても僕が若すぎるので不安に思われることもしばしば。信頼を勝ち取るのは難しいんだなってつくづく思いました。やはり会社の看板、ブランド力があってこそだなと。

 最初の4ヶ月は売上ゼロ。はじめから順風満帆ではなかったですね。

会社が軌道に乗り出したと感じたのはどのくらいの時期でしたか。

 起業してから2年で法人化し、株式会社オーリアルになりました。お客様から別のお客様を紹介していただいて、少しずつ仕事が回るようになってきました。順調に会社が動き出したまさにそんな時、事故にあったんです。

命があれば、あとはかすり傷

28歳の時、高所からの転落事故……。事故の3日前から記憶がなくなっているとのことですが。

 突発的な事故に遭った人はだいたいそうらしいですね。なかには、事故の一ヶ月前から記憶が完全になくなっている人もいるそうです。ある人は、事故の記憶が甦らないよう、神様が記憶のメモリスティックを抜いてしまうのではないかと言っています。凄惨な現場を思い出して発狂するケースもあるらしいですから。僕もどうしてあの場に倒れていたのか、いまでもわからないんです。

会社が順調に動き出した矢先の事故、医師から一生歩けないと宣告されたことは相当なショックだったと思いますが……。

 3日間の意識不明から脱した後、父が病院に顔を見せるたびにこう言うんです。「命があれば、あとはかすり傷」って。最初はその言葉の意味がわかっていませんでした。

 いろいろ体の不自由を感じていたけど、一時的な麻痺だと思っていたんです。一生歩けなくなるとは思ってもいませんでした。やがて集中治療室から一般病棟に移った時、医師の先生から「落ち着いて聞いて下さい、あなたの足はもう動きません。一生車いす生活です」と言われて。たぶん先生は僕が動揺したり取り乱すことを考えていたと思うんです。でも聞いた瞬間に「はい、わかりました」って冷静に現実を受け止めて答えることができました。

 この時はじめて父の言っていたことが理解できたんです。歩けなくなっても、僕はまだ生きているじゃないかって。動揺することなく、冷静にそう思えたのは、父のその言葉が心の楔になってくれたからだと思うんですよね。

大塚さんのターニングポイントでは必ずお父様が道を示しているように感じます。

 父は昔から、転ばないように予防策を張ることではなく、転んでから立ち上げる方法を教えてくれました。失敗してもくじけても、自分で立ち上がる力、困難を乗り越える力が大切だって、いつも僕に示してくれるんですよね。

入院中、リハビリは相当過酷だと思いますし、不在中の会社のこともあり、気持ちは相当落ち込むと思います。その時の心境はどのようなものだったのですか。

 かっこつけてるわけでも強がりでもなく、事故の後に落ち込んだことが一度もないんです。究極のポジティブ野郎なんですよね(笑)。

 「なんでこうなちゃったんだろう」よりも「これからどうやっていこう」という前向きな思考でした。会社として何をやっていくべきかを考えた時、まさに今、この状況に答えがあったのです。

 病院にいた中途障害者たちは不安、不便さ、不満を健常者よりも抱えていました。それで病院を回ってヒアリングをしたんです。話を聞いていると、障害当事者が抱えている課題が山積していることがわかったんです。ではこの不安、不便さ、不満を一個ずつ解消することを仕事にできれば、これは障害者の新たな社会参加や就労、ひいては社会復帰に導けるんじゃないかって思いました。

確かにかなりのポジティブ野郎ですね(笑)。しかしその考え方はポジティブシンキングとは少し違うように思えますね。

 陽転思考っていうんですかね。マイナスの出来事はプラスに転換してしまう(陽転させる)思考です。いろんな事象にあたった時に、その現実を受け止める力が強いのが僕の特徴ですね。

 むしろ、足が動かなくなったことによってアイデアがどんどん出てくるようになったんです。いいスキルを得たなという思いです。

 それに身体障害者になったからこそ、出会えた人もたくさんいます。いま取り組んでいる仕事は、(下半身が)こうなったからこそ与えられたもの。それまで通りの健常者だったら、もっと中身の薄い人生を送っていたかもしれません。仕事や人生の幅が広がった分、今のほうがずっと楽しいですよ。

身障者になってはじめてわかったこと

復帰してからどのように会社を展開していきましたか。

 身障者になってはじめてわかったのですが、「障害者のための施策」は、実態にそぐわないケースが多いですね。バリアフリーと銘打ってある住宅の器具の取り付け位置などがそうです。こんなところに手すりはいらないだろうとか、なんでここにスロープを付けたんだろうなど、そう思うことが多いのです。

 そこでバリアフリーコンサルティングをはじめました。身障者が抱える問題や悩みは同じ境遇の僕だからこそ理解できますし、健常者には言いづらいことも率直に話し合うことができます。その人の思いを汲み取って、第三者に伝えることもできます。デリケートな部分も同じ目線なら話しやすいですからね。なんの心理的バリアもなく対応できるわけです。

さらにNPO法人アクセシブル・ラボやバリアフリー体験型オープンハウス「mi+ta+su」(ミタス)などさまざまな取り組みをしていらっしゃいます。まずはアクセシブル・ラボについてお聞かせください。

 身障者にとって、外出することはハードルが高いと感じる方は少なくありません。身障者へのアンケートによると、行きたい店ではなく、車いすでも入れる店に行くというのです。約8割の人が主にショッピングモールにしか行かないと答えています。それではもったいないですよね。街なかには小径や段差がありますが、そのかわり、さまざまな魅力があります。そこで、車いすユーザーwelcomeな店舗を集約したサイトをつくり、『行きたい場所』を『行ける場所』へ変えようと思ったのです。

体験型オープンハウス「mi+ta+su」(ミタス)はご自宅を兼ねているとお聞きしています。そこを公開しようと思ったのはなぜですか。

 入院中のヒアリングで「帰れる家がない」という声を数多く耳にしました。2階に住んでいた人はもう戻れないんですよね。それに車いす対応の公営住宅は倍率もすごく高いんです。これは大きな課題だなと感じました。

 自分たちに何かできることはないか、車いすユーザーがほんとうに求めている家の指標となるものはないかってずっと考えていました。そんな時、親しい建築会社の友人が、自分の家をモデルルーム化してユーザーに見せるプロジェクトをやっていたんです。これを身障者が住みやすい家、身障者目線でバリアフリー化された家でやったら喜ばれるだろうと思ったんです。

いろいろと取り組みをされている中で、印象に残っている出来事はありますか。

 今まで県外のお仕事は受けていなかったのですが、昨年度に長野県の車いすユーザーのお客様に新築をお任せいただいたことがあるんです。

 その方は3年前に「mi+ta+su」に来ていただいて、家を建てる時はぜひ僕にお願いしたいと言ってくれたのですが、県内の信頼できる企業でないと施工を任せられないからと、一度お断りをしたんです。ですが、それから2年後に会いに来てくれた時、開口一番に「もう土地を買ってしまいました、受けていただけると信じています」と言うんです。その覚悟に動かされてお受けすることにしました。

 お引き渡しの1週間後にお住まいはどうですかと感想を聞きました。「一人で7年ぶりにお風呂に入ることができました」、そう言ってくれたんです。その時、あまりの感動に鳥肌がたったのを覚えています。その言葉を聞いて、関わった人の中には涙する人もいました。めちゃくちゃ嬉しかったですね。仕事の楽しさとかやりがいっていうのを改めて教えてもらいました。

ハードのバリアをハートで解消する

これからの目標がありましたらお聞かせください。

 宿泊施設向けバリアフリーコンサルティングを強化していきたいと思っています。

 バリアフリーの客室は極端に少なく、車いすユーザーにとって宿泊先探しは困難を極めているのが現状です。バリアフリールームの設置があるにもかかわらず、ホームページ等で情報公開をしていない施設もありますから。

 つまりバリアフリー化に対しポジティブに捉えていない場合が多く、情報発信も積極的にしていないということなんです。これでは、車いすユーザーが宿泊施設探しに困るのは当然です。

 これらの課題を解決するために、コンパクトでだれもが使いやすいバスルームを自宅内に造り、モデルルームとして公開し、デベロッパーや宿泊業の方に提案していき、世界一使いやすいバリアフリールームを創ることが今の目標です。

ハード面だけのバリアフリーだけでなく、心の面でも日本全体が理解を深め、健常者が障害者に慣れることが大切だと気付かされます。

 日本はオリンピック・パラリンピックの誘致運動で「おもてなしの国」を全面に出しましたよね。全世界から障害のある方が来た時に、はたしておもてなしをできるのかと考えたことがあります。

 ラスベガスに行った時に、段差のあるバス停の前でバスを待っていたんです。すると「バスに乗りたいのか」と声をかけてくれる人が何人もいる。「大丈夫だ。わたしが支えるから」と。バスが停まると、車内にいた人たちもわざわざ降りて、車いすを持ち上げるのを手伝ってくれたりする。これは身障者に慣れているからできることです。

 僕の体験談ですが、日本だと「すみません」って言いながら目的地に着くことが多いです。でも海外だとそれが「サンキュー」に変わる。おまけに「Have a nice day!」まで言ってくれる人もいて、それって最高のコミュニケーションじゃないですか。

 アクセシブル・ラボのコンセプトは「ハードのバリアをハートで解消する」ですが、そういう心持ちの人たちが増えることによって、はじめて本当のバリアフリー化になるんです。それこそが本当のおもてなしなんじゃないかって思いますね。

そうなれば障害を持つ人たちの世界がもっと広がっていきますね。

 僕は障害者がもっと外出したくなるような流れをつくりたいと思っています。実際、自分であちこち行ってわかったことは、障害者がどんどん外出できる方がいいということです。家に閉じこもっていた彼らが外出し、消費もすれば、経済的にも大きなインパクトを与えると思います。さらに、仕事をもつようになれば、社会に支えられる側から支える側に変わります。

 だって、命があれば、あとはかすり傷ですから。障害者がもっともっと自分の可能性を広げて活躍できる社会をこれからも目指していきたいですね。

Information

【株式会社オーリアル】

〒320-0051 栃木県宇都宮市上戸祭町551

TEL:028-622-3905 FAX:028-622-3904

Mail:info@oreal.co.jp

http://www.oreal.co.jp/co.html

 

【NPO法人アクセシブル・ラボ】

http://accessible-labo.org/

TEL:028-622-3905(オーリアル内)

 

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