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紺碧の将
Interview Blog vol.46

父から受け継いだ会社を命懸けで守り抜く。

株式会社品川測器製作所 代表取締役細田純代さん

2018.06.01

「ものづくりのまち」として知られる東京都大田区は、町工場がひしめく日本を代表する産業の町です。そこに、昨年7月に創立70周年を迎えた株式会社品川測器製作所があります。圧力計や温度計など、さまざまな工業用の計測器を製造、販売する会社の代表を務めるのは、3代目の細田純代さん。社長として、祖父の代から受け継ぐ信頼と技術、そして、苦楽を共にしてきた従業員たちとともに日々会社の活性化に努めています。

高い信頼と技術がつないだ70年

御社は工業用の圧力計や温度計の製造をされているということですが、具体的にどういうものなのでしょうか。

 水力、火力、原子力などの発電所や変電所の異常を感知して知らせてくれる計測装置類です。大型変圧器用のものから、発電・送電用、SF6ガス遮断器用など、多種多様な計測器を製造し、ほとんどすべての工程を自社内で行っています。

工場自動化されているのですか。

 いいえ、特殊な計器はオーダーメイドですから、量産できるほどの生産量はありません。ほとんどは手づくりです。品種も多岐にわたるので、社員は一人で何役もこなしています。

となると、かなり高度な技術が求められますね。

 はい。職人気質の熟練した技術者ばかりです。昭和22年の創業以来、会社として強い信頼が得られたのも、彼らの丁寧な仕事のおかげです。うちの計器は絶対に事故の許されない日本の最重要施設の安全の要ですから、信頼性の高さは特に重要です。

昨年、70周年を迎えられたそうで、おめでとうございます。細田さんは3代目ですよね。会社を継がれたのはいつですか。

 2009年の12月です。最初は社員の言っていることもまったくわからなかったんです(笑)。それくらい、何も知りませんでした。だけど、みんな良い人ばかりで、娘に接するように教えてくれました。父と同じ世代の職人さんが多かったものですから。

回り道をして決意した会社の継承

会社を継ぐことは最初から決まっていたのですか。

 いいえ、私は英語の先生になるのが夢でした。父から一言も継いでくれと言われたことはありません。ただ、うちは女ばかりで、大学1年の時、私が継いだほうがいいと思うようになりました。それで、文学部から法学部に編入しました。法律の知識がないと経営はできません。とくに女性は軽視されますから。

実際、そういうことはあるのですか。

 騙されたことはありませんが、最初のころは横柄な態度や嫌がらせを受けることがよくありました。それでも、誠実に仕事を続けていると、見下されるようなことはなくなりました。

大学を卒業してすぐ、入社されたのですか。

 いいえ、そのまま父の会社に入っても客観的にみることはできないと思ったので、卒業後は大きな損害保険会社に入社し、営業部で新規代理店育成のためのトレーナーとして働きました。4年後、経理担当で父の会社には入りましたが、結局、それから3年で辞めちゃったんです。

なぜですか?

 経理という仕事が合っていなかった。父との衝突が絶えなくなり、お互いに理解しあえないまま、会社を出ました。その後は、前職の経験を生かし、株式会社JALUX(旧日航商事株式会社)で保険営業、ライフプランナーとして働いた後、介護に関わる新規事業の立ち上げにも関わりました。その間も父との関係は変わりませんでした。ただ、いつかは戻らなければという気持ちはありました。

会社に戻るきっかけがあったのですか。

 はい。3つ年上の従兄が突然亡くなったことがきっかけでした。人生はいつ何があってもおかしくないんだと思い知ったんです。細田家は父を除いて女ばかりだったので、みんな父を頼りにしていましたから、自分が他人の会社で働いている間に父の身に何かあったら、会社も家族もどうなるんだろうと心配になったんです。それからですね、戻ろうと思ったのは。父も、いつかは戻ってくると思っていたようです。

会社に戻ったのは退職してから何年後ですか。

 6年後です。一般社員として、まったく一からのスタートでした。このときもまた、経理担当だったのですが、やっぱり性に合わなくて、話し合った末、社長補佐という立場で現場の仕事を覚えていきました。作業自体はしませんが、全工程を把握して社員たちの仕事一つひとつを理解できるようにまなびました。

亡き父の残した財産

先代から会社を引き継いだのは、それから何年後ですか。

 2年後です。継いで半年後に父が不調を訴えて、肺がんが見つかりました。すでに「余命半年」でした。会社を私に任せたことで安心したのかもしれません。何の兆候もありませんでしたから。その半年間は、私も継いだばかりでまったく余裕がなく、社員たちには父が亡くなる直前まで、本当のことは話せませんでした。

事実を知った社員の方々の反応はどうでしたか。

 不安だったと思います。就任したばかりの私は頼りなげに見えたと思います。自分たちはこれからどうなるのか、という不安がひしひしと伝わってきました。私は「父の遺志を受け継ぎ、全力を尽くしますから、力を貸してください」と全社員に誓いました。そう宣言した後は、みんな一丸となって会社を守ろうと頑張ってくれました。先代の大きさをあらためて実感しました。

先代がいなくなった後の経営を引き継いでいくのは、資金面でも大変なことがあるのではないでしょうか。

 それが、当社は先代のころから無借金経営に転じて、手形も切る必要もなくなっていましたから、資金繰りの心配はなかったんです。本当にありがたいことです。躊躇せず設備投資ができたり、新しい企画を実行に移せるのも、父のおかげであり、当社で働いてくれた社員とその家族のおかげです。ですから、これからは自分の人生をかけて恩返ししていきたいと思います。

新しい取り組みを教えてください。

 2年前ほど前に、本社工場の隣地を購入し、第二工場を新設しました。本社工場には従来の製造ラインを残し、第二工場には各種試験装置を導入してラボ的な機能を持たせました。第二工場の竣工を、会社が生まれ変わる新たなチャレンジの契機にしたいと思っています。

サムライ塾のリーダーをされていますね。

『ジャパニスト』のご縁で、近藤隆雄さんが無償で主宰しているサムライ塾を知りました。サムライ塾は、21世紀の日本を率いるリーダーを育てることを目的としています。昨年、塾生として参加し、今期第6期は運営のリーダーを任されました。

仕事との両立はどうですか。

 いままでのおつきあいは、父から引き継いだ地元と工業会などでしたが、サムライ塾は30代40代が中心で、女性も何人もいます。職業も伝統企業ばかりでなく、外資系、IT、コンサルティング、金融、政治家など多岐にわたり、起業家も多く、元気のいい仲間から刺激やエネルギーをもらいながら、とても楽しくやっています。もちろんリーダーとして自分を磨くことも大事な目的です。サムライ塾は自分の目を外へ、未来へと向けるいい契機になっています。

細田さんのこれからの目標はなんですか。

 事業を継承したあと、会社を潰さないよう命懸けでがんばってきました。自分のことは何も考えないでいいと思っていましたが、いつまでも若くはありません。日本はこれから激動の時代を迎えます。その危機感とともに、父から受け継いだ会社を守るためにも、自分自身の生命も大切にしていきたいと思います。

(文中写真、上から:①作業風景 ②先代の社長が使っていた椅子。今でもそのままの姿で社長室にある。③第二工場 ④社員たちと)

 
株式会社品川測器製作所
http://www.shinagawasokki.co.jp

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