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紺碧の将
Interview Blog Vol.37

自分の仕事は「人を知る」こと。知りたい、聞きたいという好奇心が、自分を高めてくれる。

美容室 TAIKOKAN 代表下地善之さん

2018.03.01

 

 

 沖縄県宮古島出身の下地善之さんは、西新宿でフランチャイズの男性専門理容店を経営したあと独立し、代々木に新しいお店をオープン。知的好奇心が旺盛で、顧客との会話では学ぶことが多いからと聞き役に徹し、ほどよいキャッチボールで場を和ませています。その姿勢が知的階級の顧客からも好まれ、新しいお店にもリピーターが訪れています。

念願叶い、島から脱出。

下地さんは沖縄県出身ということですが、東京に出てこられたのはいつですか。

 高校を卒業してからです。理容師の専門学校に行くために上京しました。18の頃ですから、もう25年以上前ですね。最初、東京に出てきたときは右も左もわからなくて電車に乗るのも一苦労でした。切符の買い方がわからないんですよ(笑)。周りの人に訪ねても、なまりがひどくてまったく伝わらないし。しょうがないから人に訪ねるのはあきらめて、切符売り場で前のおじさんの行動を観察して買いました。

 見るものすべて新鮮でしたね。はじめの頃は楽しすぎて地に足がついていなかったです。ずっとふわふわしている感じでした。

 雪を見たのも生まれて初めてでした。東京ではないですが、専門学校の卒業旅行で京都の清水寺に行ったとき、初めて雪を見たんです。感動しましたね。あまりにも感動しすぎて、ひとりでうっとりしていたら、周りから変な目で見られました(笑)。

理容師になるのが夢だったのですか。

 夢というか、実家が理容店をやっているんですよ。だからといって、店を継ごうと思っていたわけではないですけどね。昔からずっと、小さい島から外に出たかったんです。東京に出る口実として、理容師という道を選びました。親には「いつか店を継ぐから」と言って(笑)。

いつか宮古島に戻ってお店を継がれるのですか。

 いえ、あの言葉は親を説得するために言っただけです。でも結果的に、あの言葉はウソじゃなくなりました。店名の「Taikhokan」。実はこれ、父の店と同じ名前なんですよ。新しい店舗の名前を考えているときに、理容店はどこも横文字が多いことに気づき、だったら和名にしょうと思って、そのときに浮かんだのが父の店の「大幸館」でした。

 26年前、「いつか店を継ぐから」と言って上京してきたことを思い出したんです。実家に帰って店を継ぐことはできないけれど、名前なら継げる。継ぎたいと思いました。

いったん離れたからこそ気づいた、本業の良さ。

きっと、お父様も喜んでいらっしゃると思います。ところで、理容師はキツイ仕事だとよく聞きます。人気の職業の割に離職率も高いと聞きますが、どうですか。

 たしかにキツイと思います。ただ、僕が思い出すのは楽しかったことの方が多いかな。もちろん、最初は大変なことは多かったと思いますけど、楽しかったですね。今考えると、大変なことが多かったから、ちょっとしたいいことや楽しいことがそれ以上のものに思えるのかもしれませんね。たとえば、お客さんの笑顔が返ってくるとか。本当に嬉しかったですから。

 それに、街なかで建設業の仕事をしている人を見たとき、屋根の下で働けることはいいなって、つくづく思ったことがあります。

 理容師の仕事も大変なことが多いのも事実ですが、その頃の僕はあまり感じなかったというか、気づかなかった(笑)。仕事って、どんな仕事も大変なことはありますよね。

 僕は、お客さんの笑顔を見られるのがほんとうに嬉しかったし、仕事が楽しかったです。

最初のお店はどれくらい勤められたのですか。

 4年間です。そのあとは理容師以外のこともやってみたくて、いろいろやってみました。お笑い芸人になろうと思ったこともありますよ。某プロダクションのオーディションを受けましたが、落ちました(笑)。あの世界は想像以上に厳しいです。芸人を目指している人たちって、ある意味、突き抜けているんです。突き抜けないとやってられない。クレイジーというか、笑いを取るためならあっさりと自分を捨ててしまう。僕はそこまで突き抜けられなかった。だから、テレビで芸人さんたちを見ると、それほど売れていなくても、「すごいな」って思います。あの世界に残っているだけですごいですよ。

理容師以外の仕事を経験して、また理容師にもどったのはいつですか。

 30代になってからです。理容師の仕事にもどったとき、あらためて理容師はいい仕事だと思いましたね。お客さんの感覚がわかるというか、ダイレクトにお客さんの気持ちが伝わってくるのがいいです。

 理容師になったころ、先輩に「とにかく会話をしろ」と言われました。しかも、とっかかりは天気の話がいいと。当時は、なぜそんな中身のない話をする必要があるのかと不思議でした。それより、もっと楽しい話しをしたいと思っていたんです。

 でも、今振り返ってみると、それは正しかったんですよね。というのも、天気の話をして返ってくる言葉で、お客さんのそのときの心境がわかる、相手の気分がわかるんです。つまり、天気の話はそのときのお客さんのご機嫌をうかがうための入り口だったんですよ。最近、そういう気づきが多いです。

仕事の醍醐味は、良い顧客とのコミュニケーション

自分の仕事をいい仕事だと思えるのは素晴らしいです。天気の話もそうですが、相手の気持ちを汲み取ることはなかなか容易にはいきません。お仕事柄、お客さんとのコミュニケーションで気をつけていることはありますか。

 若いころは、政治と宗教と野球の話はタブーでしたね。いちばんナイーブなところですからね。今ではある程度経験を重ねてきて、そういう話も少しずつできるようになりましたけど、それでもそういう話は相手を見て話すようにしています。

 今はいろんなことを知りたいし、聞きたいです。この仕事はお客さんからいろんな話を聞けるのが本当に嬉しい。お客さんが知らないことを教えてくれるし、自分も知っていることを伝えられます。

 以前、社会学者のお客さんがこられて、社会学の説明をしてくれたんです。その内容が心理学と似ていたので「心理学とどう違うのですか」と聞いたら、その人が、学問というのはすべて重なっているし、どこかでつながっていると教えてくれました。学問が向かっている方向性は同じで、その先は「人を知る」ということに行き着くと。それを聞いて、自分の仕事はまさに「人を知る」ことだと実感しました。

 またある大学の先生は、学問が生まれた2大源流は「人の内面を知ること」と「宇宙の原理を知ること」だと教えてくれました。今まで知らなかった知識を得られるのもこの仕事の醍醐味だと、最近つくづく感じます。

下地さんは顧客に恵まれていますね。

 2010年に新宿でフランチャイズのお店を始めた当初、どうやったらお客さんが来てくれるだろうと、毎日、外で店を眺めながら腕組をして考えていました。通りに面していたから、外から店の中が見えるんですね。だから、どんなお店なら入りやすいだろうと。最初のころに、ガラの悪いお客さんがきたことがあるのですが、他のお客さんもいなくて予約も入っていなかったのに断ったんです。やっぱり仕事は気分良くしたいですし、外から丸見えですからね。そうやって、お客さんを選別していました。そのうち、そういうお客さんは来なくなりました。

未来へのワクワクが止まらない。

選別するのは必要なことですね。どういう人に来てもらいたいかと考えることは、どういう仕事をしていきたいか、ということにつながると思います。いい仕事をするためにも、スタッフや顧客、そこに関わる人は重要だと思います。それにしても、下地さんのお話を聞いていると、仕事が楽しい、学ぶことが愉しいということが、ひしひしと伝わってきます。

 昔はそうではなかったんですよ。中学生の頃は閉塞感があり、いつも窮屈さを感じていました。高校に行ってもそれは同じで、何をやっても満たされなかった。友人たちと遊ぶのは楽しかったけれど、それもその場だけで、一人になると何か満たされない思いがあったんです。けれど、それは自分がそうしていただけ、そういうつまらない状態を自分が作っていただけだと、最近、気づいたんです。新宿でお店をはじめてから、いろんなことを知ることによって見方が広がりました。この7年間で聴く力が身について、少しは成長できたんじゃないかな。

 小学校のころの作文には、決まって最後に「…いつも笑顔でいたい」と書いていました。だからか、どんなことがあっても、なぜか笑っちゃうんですよね(笑)。それくらい、毎日が楽しいんだと思います。

 今はお客さんから聞いた話を、自分なりに考えて発展させていくのが本当に楽しい。

 西新宿から南新宿(住所は代々木)に移り、新しいお店をはじめたばかりで不安もありますが、それでも僕は、どんな未来が待っているんだろうと、まだ見ぬ未来にワクワクします。

(写真上から:①TAIKOKANのインテリア ②シャンプールーム ③家族と:左から加奈子さん、優希ちゃん、下地さん)

 

TAIKOKAN

東京都渋谷区代々木2-26-2 2桑野ビル3F

milc_shimoji@yahoo.co.jp

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