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紺碧の将

多樂塾、始動す

2012.11.04

 やむをえない理由によって先延ばしになっていたことが、来年は実現する年なのかもしれない。

 昨年の春頃、かねてから構想のあった私塾を始めたいと思っていたのだが、2月に大竹が急死。それどころではなくなり今に至っているのだが、『Japanist』でパートナーシップを組んでいる神楽サロンからそろそろ始めましょうと声がかかり、来年1月から開講することになった。毎月1回、月半ばの火曜日なので「Japanist Tuesday」とサブネームを銘打ち、名前を「多樂塾」にしようかと思っている。

 また、昨年4月に予定していたアフリカ行きも直前の東日本大震災によって中止を余儀なくされていたが、こちらも来年早々に実現しそうである。

 どんなものでも必然のタイミングというものがある。今までは自然にまかせていると、「自然に」やってきた。なんて自分はタイミングがいいのだろう! と思うことばかりなのだ。

 

 今、日本人の多くは閉塞感に苛まれているという。さまざまなデータを見るまでもなく、世の中を見れば一目瞭然だ。そもそも楽しそうにしている大人が少ない。

 なぜ、そうなのか? 私なりの推論は、「人と比べているから」と「自分の役割が明らかではないから」の2つ。

 いま、おそろしいほどのスピードで情報が洪水のように押し寄せ、拡散能力も高まっている。ということは裏を返せば、他人の情報が入ってくるということであり、「人を羨ましくさせる」情報がワンサカ届くという社会だ。妬みを増長させる社会だと言い換えてもいい。

 その結果、相対的に自分と比べ、ないものねだりばかりが際限なく増大する。絶対的な自分の機軸があれば、他人がどのような生活をしていようが、何を楽しんでいようが、まったく関係ないはずだが、そうは思えず、ひとり悶々とする。

 以前、テレビドラマのキャッチコピーに「女は、不幸な女を見るのが好き」というものがあったが、女の人に限らず、男にもそういう面はある。これは、絶対的な自分の機軸がないために、人と自分を相対化してつかの間の安心を得ているにすぎない。こんな精神状態では、愉しい人生はおくれまい。

 人を嘲るより人を称賛するときの方が圧倒的にいい時間を過ごすことになるというのは自明の理。人生とはどういう精神状態で過ごしたか、と尺度を変えれば、人の不幸を喜ぶことほど自分の首を絞める行為はない。

 また、自分の役割(天分ともいう)が自覚できていないと、何をしたらいいのか定まらないから、情報に惑わされ、いつもフラフラとあっちへこっちへとさまようことになる。

 今までの多くの取材によってはっきりわかったことは、「人生うまくいっている人はすべてといっていいくらい、自分の役割を明白に理解している」ということ。

 だから、多樂塾では、最大の目的を「絶対的な自分を確立する」ことと「自分の天分を知る」ことに置こうと思っている。そのための講座にしたい。この2つを確立するのに、遅すぎるということはない。いちばん哀しいことは、それらを知らないままに生涯を終えることだ。

 もちろん、それらは一朝一夕に獲得できるものではないし、完全な答えもなければこれで終わりというものがあるわけでもない。しかし、探求し続けていくなかで、やがて自分の信条が明白になり、それを座右の銘や箇条書きに明文化できるようになるはずだ。わかりにくい概念は明文化するに限る。「多樂」」という言葉もまさにそうであり、この言葉に私の指針が凝縮されている。その延長に30ヶ条があるのだが、そういうものがあれば、いちいちブレることはない。

 というわけで、いずれ詳細をホームページに掲載します。月1回3,000円、場所は神楽サロン、午後7時〜9時(予定)。

(20121105 第378回)

 

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