多樂スパイス

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紺碧の将

小説の事実化

2011.04.22

 先回、バルザックのことについて書いたら、お薦めの作品を教えてほしいというメールが来た。残念ながら、膨大なバルザック作品群にあって、現在邦訳されているものはあまり多くない。ほとんどが全集スタイルで刊行されており、単品購入できるものは少ない。

 そのような事情を前提に、私の好きなバルザック作品列記すれば、『従兄ポンス』『従妹ベット』『ゴリオ爺さん』『セザール・ビロトー』『ラブイユーズ』『ウジェニー・グランデ』などになろうか。長編書きのバルザックには珍しい短編集『知られざる傑作』も素晴らしい。表題作は映画『美しき諍い女』の原作になったものだが、芸術とは? という大きな命題に真っ向から切り込んでいる。世間の評価のわりにピンとこなかったのは『谷間の百合』。あくまでも好き好きなので、作品として悪いわけではない。

 

 ところで、バルザックとくれば、19世紀フランス文学好きとしてはアレクサンドル・デュマと続けたい。デュマといえば、『モンテ・クリスト泊』や『三銃士』だろう。特に前者は私の超贔屓の作品で、子どもの頃は『巌窟王』の名のダイジェスト版で親しんだ。

 子どもの頃、私は外でガキどもと遊ぶのも家の中で読書するのも好きだったが、好きな本に出会うと、「外で遊びたいのはヤマヤマだが、もう少しこれを読んでいたい!」というジレンマにかられたものだ。まさしく、“血湧き肉躍る”とはこのことで、次から次へと貪り読んだ記憶が昨日のことのように甦る。

 当時、夏目漱石や太宰治など日本の名作にはまったく惹かれなかった。特に太宰は問題外だった。我が国にはどうしてあのような湿った作品ばかりなのかと、とても残念に思った。同様に、当時流行っていたフォークソングにもまったく触手が動かなかった。いったい、何が悲しくて四畳半の暗い部屋で貧乏ったらしい生活をしている一コマを表現しているのだろうと、まったく理解できなかった。貧乏が悪いわけではない。当時はほとんどが貧乏だったし、私の家も例外ではなかった。「貧乏ったらしい」のが好きではなかったのだ。「貧すれば鈍する」という言葉があるように、貧しいことは人を磨くこともあれば、腐らせることもある。

 ところで、不思議なことに、今、当時のフォークソングを聴くと、「まあ、気持ちもわからなくはないよ」と思えるようになった。少しは成長したということか(とはいえ、積極的に聴こうとは全然思わないけど)。

 話がそれてしまった。デュマの話だった。

 拙著『多樂スパイラル』にも書いたが、以前、私はどうしても『モンテ・クリスト泊』の舞台になった“海に浮かぶ牢獄”シャトー・ディフに行ってみたくて、わざわざパリからTGV(フランス版新幹線)でマルセイユまで行き、船に乗ってそこまで行ったことがあった。シャトー・ディフは主に政治犯を収容した牢獄だが、脱出は絶対に不可能と言われていた。それもそうだ。周りを海に囲まれている。

 デュマは自作の中でその牢獄を用いた。主人公エドモン・ダンテスが濡れ衣を着せられてそこに閉じ込められ、やがて脱出して復讐を遂げるという長大な物語だが、「水に流す=忘れる」ことが得意な日本人には持ち得ない“怨念”の力であり、その方法として、まず自分がひとかどの人物になって長い時間をかけて復讐を遂げるという設定が凄い。

 ところで、そのシャトー・ディフ、実際に見るといかにも堅牢だったが、面白いことに、「この部屋でダンテスはファラオ神父に会い……」などという説明書きがあり(フランス語で書かれているので意味は定かではないが)、あたかもダンテスは実在の人物だったかのような雰囲気なのだ。

 「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、小説を事実にしてしまうフランス人っていったい……、というのが今回の結論。

 

 お知らせ─

 本日、『Japanist』No.9が完成しました。今回は編集の途中で東日本大震災が発生し、さまざまな面で進行が難渋したが、無事刊行できることを感謝したい。

 今号の肝は、上甲晃氏による巻頭檄文。まさに魂の言葉、ぜひとも皆様に読んでいただきたい。震災前に書かれたものなので震災にはまったく触れていないが、すべての日本人の魂に響く希有な文章だと思う。体裁は、松下政経塾出身の政治家に宛てた檄文だが、それだけにとどまらない普遍性を備えている。

 

 今回の編集・執筆・制作にたずさわったすべての人を代表し、被災者の方々にあらためて哀悼の意を表します。

(110422 第245回 写真はシャトー・ディフの牢から見た海)

 

 

 

 

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