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紺碧の将

桜とともに合掌

2011.03.18

 被害の全貌が明らかになるにつれ、おびただしい犠牲者の数に戦慄を覚える。万を越える数の人が、一瞬にして命を奪われるなんて……。数字で「万」と聞いてもリアリティーがないが、一人ひとりにそれぞれの人生があったはずだ。

 まだ生まれたばかりの子もいただろう。ようやく歩き始めたばかりの子も、もうすぐ卒業する子も、社会人になったばかりの若者も、結婚したばかりの夫婦も、子どもを産んだばかりの母親も、バリバリ働き盛りの人も、老後を穏やかに暮らそうと思っていたお年寄りも……。

 そういう人たちとともに暮らしていたペットも、その人たちに面倒をみてもらっていた植物も、田植えを待つばかりの田んぼも、海の恵みを運んできてくれた漁船も、多くの人が営々と築いてきた町並みも、一瞬にして消えてしまった。

 

 いつも私たちに多くの恵みを与えてくれる自然がなすこととは到底思えないが、これもまた自然の理なのだろうか。

 いったい、今回の出来事にはどんな意味があるのだろう。残された私たちは、何を酌み取るべきなのだろう。

 とてつもなく大きな宿題であると思う。

 私は常々、地球も宇宙という生命体の一部であり、それが身近なところで顕現しているのが植物だと思っているということは、すでに何度も書いてきた通りである。だから、今回の出来事も、「単なる自然現象」とは考えない。地震の発生を科学的なメカニズムだけで解明しようとすることにそもそも限界がある。かといって、石原氏の言うように、単に「天罰」として片付けていいものではない。そもそも天罰であるなら、向けられるターゲットがちがう。

 

 今回亡くなった方々は、あの出来事がなければ、もうすぐ桜を見られたはずである。だから、せめて桜の写真とともにあらためて哀悼の意を表したい。

 合掌。

 

(110318 第237回 写真は新宿御苑のソメイヨシノ ※昨年撮影)

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