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紺碧の将

ネガティブなことは遠ざけよう

2011.01.18

 少し前の新聞広告に、新しく始まるテレビドラマの広告が掲載されていて、キャッチコピーにドキリとさせられた。

 「女は、不幸な女を見るのが好き」

 思わず、コワーイとのけぞってしまった。

 それと似たような言葉で、「他人の不幸は蜜の味」というものもある。

 

 日光東照宮にある有名な「三猿」の意味するのは、「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」ということである。けっして無関心になれということではない。

 我が師・田口佳史先生がご自身の著書『清く美しい流れ』で、「人間の悩みは、必要なことを行っていないからではなく、不要なことを行っているところからきている」と喝破しておられるが、まさにその “不要なこと” の最たるものが「悪を見る、悪を聞く、悪を言う」であろう。

 2回前のブログに、私は “世の中は、圧倒的多数のまがいものとほんの少しの本物、そして、そのどちらでもないものによって構成されている” と書いたが、その “圧倒的多数のまがいもの” は不要なことを行うことによって生じると思っている。

 しかし、人間とはじつに愚かな生き物であり、そうとわかっていて、不要なことをしてしまうのである。例えば、各大手出版社が発行している週刊誌はどうだろう。ほとんど、「他人の不幸」を束にしていると言って過言ではない。不幸の数が少なければ、あるいは不幸の度合いが少なければ意図的に改ざんしてまで不幸を売り物にしている。

 なぜ、そういう事態が変わらないかと言えば、買う人がいるからである。

 そんなものを見る暇があったら昼寝をせよと言いたいが、他人の不幸が楽しくて仕方がない人はあのようなクダラナイ雑誌をわざわざ購入してせっかくの時間を無駄にし、いっときの優越感に浸って満足している。

 

 朝起きて、「今日はいやな日」と思ったのがいつのことだったかとんと忘れたといつも言っているが、私は基本的に他人の不幸には興味がない。

 というと、なんとなく品行方正な人という印象を持たれかねないが、そういうことではない。ただ単につまらないだけなのだ。

 こう言ってはなんだが、人間の悪業には興味がある。若い頃からバルザックが好きだったということだけでもそれが証明できる。バルザックを読んでいると、善人よりも悪人の方に惹かれてしまうことがある。浅田次郎が描く極道も、世間一般的には「悪い人」となるのだろうが、にくめないどころかじつに魅力的でさえある。

 そういうものと、他人の不幸を求める心は根本的にちがうと思う。

 さあ皆さん、世の中のクダラナイものには、“見ざる・聞かざる・言わざる” の精神でいきましょう。

(110118 第223回)

 

 

 

 

 

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