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紺碧の将

自然のありようを自己のありようとする

2010.12.21

 今、世の中は人間万能主義に陥っていないだろうか。つくづくそう思うことが多くなった。

 たしかに人間の知恵は素晴らしい。有史以来のたゆまぬ努力によって、人類は大きく発展を遂げてきた。宇宙にも行けるようになったし、クローン動物も作れる。

 しかし、相変わらずバカなことをし続けているというのも事実だ。人間同士の殺し合いなどその最たるものだろう。

 

 「万物斉同」という言葉がある。万物はすべて同じという意味だ。

 それも一理あるが、最近私は植物こそこの地球上の最上位にいるものだと感じるようになった。人間でもなく、他の動物でもなく、植物。

 なぜなら、植物だけが地球という惑星生命体と直接つながっていて、万物を育んでくれる大元だからだ。「無為自然」とは植物のありようにこそあてはまる。

 だから、植物人間という言い方は良くないのではないかと思っている。植物に失礼だ。

 植物たちは、「自然体というのは、こうすればいいのだよ」と無言で教えてくれている。あとはそれに耳を傾けるかどうか、だろう。

 

 私は時間の許す限り、なるべく植物の息吹を感じられる場所を一日10000歩くらい歩こうと思っている。人間と共生している植物は能弁だ。さまざまなことを教えてくれる。へたなハウツー本を読むより、ずっと大事なことを教えてくれる。

 「自然のありようを自己のありようとする」

 師・田口佳史先生がしばしばそうおっしゃる。果たして、その真意とはどういうことなのだろうか? はたと考え、答えに詰まることが多い。

 そういう時、なんと自分は余分な力が入っているのかと痛感させられる。

 だから、堂々とした木を見るのである。

(101221 第217回 写真はヒマラヤシーダー。大きな家のようだ)

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