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紺碧の将

地方の格差

2010.09.09

 仙丈ヶ岳に登った翌日、甲府の温泉に行った。毎年のことだが、山で体力を使い果たしてただの肉の塊となった後、ゆっくり温泉に入るのが楽しみのひとつである。

 今回は地方の格差について、である。具体的には、長野県と山梨県の「ちがい」。ちがいと言うより、「差」と言ってもいい。こう書くと山梨県の人たちに叱られてしまいそうだが、感じたままのことを書く。

 昨年まで主に長野県にある北アルプス方面に登っていたが、今年は山梨県側の仙丈ヶ岳だったので、温泉も甲府市近辺で探した。しかし、これといってピンとくる宿がない。やむなく適当なところを予約したのだが、これがじつにひどい宿だった。松本市には浅間温泉もあるし、扉温泉にはあの明神館もあり、簡単に言えば「選び放題」である。

 と、これはある意味、どうでもいい話だ。その土地の良さはいい宿があるかどうかだけで決まるものではない。

 しかし、ことは温泉だけに限らず、甲信越の「甲信」といつも並べて言われるものの、山梨県と長野県ではさまざまな面で格差が開いていると感じた。

 その日、お昼を甲府市の中心街で食べようと思ったのだが、これがなかなか見つからない。JRの甲府駅近辺に行けば何かはあるだろうと思ったのだが、そのあたりにもない。仕方なくしばらく車を走らせ、ようやくファミレスを見つけたのだった。甲府市はかなりの勢いでゴースト化しているという印象を受けた。

 その後、有名な昇仙峡に行った時はさらに驚いた。娘がまだよちよち歩きの頃、家族で行ったことがあるのだが(13年くらい前?)、その時と風景が一変していたのだ。休日だというのに、観光客が歩いていない。渓谷沿いの通りにある物産展の多くはシャッターを閉め、かろうじて開いている店も青息吐息といった印象だ。賑わっている観光地もあれば、死に体になったような観光地もある。これも格差だろう。

 今、日本は東京の一極集中がさらに進み、地方は疲弊の一途をたどっている。地方都市はどこも荒廃に向かっていると言って過言ではないだろう。さらに、その中で格差が開いている。甲府市と松本市を比べると、今の日本が直面している問題を感じないわけにはいかない。

 今後、地方の格差はますます開いていくだろう。今まで、都道府県は国の下請けとして国の言われるままにやっていれば地方交付税という麻薬のようなお金をもらえた。言い換えれば、格差是正資金である。

 しかし、夕張市の破綻に象徴されるように、これからは国が守ってくれるわけではない。いい加減な経営をしている自治体は立ち行かなくなる状況にある。そこをよくよく考え、その地域にとってどうすれば産業の振興ができ、何世代にもわたって繁栄を続けることができるか、答えを探るべきだろう。例えば、昇仙峡のように寂れてしまった観光地の再興を地元の役所の職員にまかせては無理な話だ。外部から専門家を招致し、地元の「バカ者」と融合させるなど、新たな発想が必要だろう。

(100909 第189回)

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