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紺碧の将

豊国神社と豊臣秀吉

2010.07.30

 前回、大阪城へ行ったことを書いたが、その後、ほんの少しだけ、豊国神社を訪れた。すぐ目の前にあったし、豊臣秀吉がうらめしそうな表情で私を見ていたので、無視するわけにはいかなったのだ。

 それにしても、自分を祀る神社の入口に、デーン!と自分の銅像が立っているあたり、さすがは太閤様じゃ。そのうえ、頭の部分から鳥の糞が垂れている。あまり誉められた姿ではないな。

 前回も書いたが、私は秀吉に好意的ではない。小学6年生の時、司馬遼太郎の『太閤記』2巻をワクワクしながら読んだことは鮮明に記憶に残っている。あの当時の高久少年は、完全に秀吉の機知と才略に魅了されていた。しかし、天下を治めた後の秀吉は、いったいどのような世の中にしたかったのだろう。そこんところがまったくわからない。結局、千利休はそういう点において、相当秀吉をバカにしていたのだと思う。利休はとてつもないセンスをもち、曲がったことができる男ではない(それでいて性格は悪そうだ)。結局、詰め腹を切らされたのは、秀吉の劣等感をいたぶったからにちがいない。

 

 もっとよくわからないのが、石田三成だ。秀頼を擁立して、いったいどのような国を創りたかったのだろう。淀君にまかせて、うまく治まると思ったのだろうか。

 わからない。三成のことも、子どもの頃は好きだった。司馬遼太郎の『関ヶ原』3巻を夢中になって読んだからだ。その当時は、家康というタヌキ親父が勝ったことが許せなかった。しかし、今では、「そうなるべきだった」という結論に落ち着いている。

 ただ、豊臣秀吉という人物の大きさは認めないわけにはいかない。

(100730 第182 写真は大阪市にある豊国神社の鳥居と秀吉の銅像)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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