多樂スパイス

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紺碧の将

大坂城にて

2010.07.24

 昨日、『Japanist』第6号が完成した。

 今回は『Leaders of Japan ニッポンを地方から洗濯致し候』というムックと『なにゆえ仕事はこれほど楽しいのか』というエッセイ集を同時に進行させてきたので、実に気持ちのいい忙しさであった。さらに、その3つ以外の仕事もあり、効果的な時間の配分を求められていた。この緊張感がたまらなかった。今思えば、だけど。

 『Leaders〜』についてはあとで説明するが、要するに全国の地方自治体経営の成功事例をムック(本とマガジンのミックス)で紹介するというものだ。サイズとページ数は『Japanist』と同じ。取材する首長は全部で10人。関東6人、東海・中部2人、中国1人、四国1人の割合である。原稿はすべて自分で書いた。ナビゲーター兼インタビュアーは、松下政経塾出身で会計事務所を経営する山崎泰氏。

 今回の取材のおかげで、地方行政にかなり詳しくなった。これまで国の議院内閣制と地方の二元代表制の厳密な違いがわかっていなかったが、その理念と実態についても明瞭に理解できた。

 

 ところで、仕事などで出張する際は、なるべく「そのまま」で帰らず、その土地のいいものを見ようと思っている。先月の終わり頃、岡山市長を取材した時は、後楽園と岡山城を見ようと思っていたのだが、急遽、大阪府庁へ行く用事ができてしまい、やむなく断念(ちなみに大阪府庁舎は古くて威厳があって、素晴らしかった)。しかし、所用の後、1時間ばかりの隙間を狙って大阪城を訪れたのであった。

 大阪城といえば、豊臣秀吉である。全国を平定するまでは実に魅力的だった。機知に富み、主君・信長や同僚たちから慕われた。

 しかし、後世の人間が教訓とすべきことは、そういう人物でも、ある時を境に変わってしまうということである。天下人となった後の秀吉はいきなり醜悪で無教養で貧しい老人になってしまったかのよう。

 結局、何を言いたかったかと言えば、秀吉は武将としては輝いていたが、政治家としては凡百だったということ。人には向き不向きというものがある。朝鮮出兵はゼロサム社会になった後の、武将の矛盾を解決するための方策であったのだろうが、実に安直だ。後に家康が示した「天下国家の治め方」と比較すれば、いかに幼稚な考えだったかわかるはず。

 話が長くなってしまった。

 大阪城そのものはいい。あのような大きな城郭が市の中心部にあるということは奇跡でさえある。しかし、天守閣は「秀吉らしいなあ」というのが正直な感想。外国人にはウケがいいだろう。エレベーターもあるし。

 大阪城を去った後、大阪でジャパニスト・クラブを立ち上げたいという熱心な読者と会食し、翌朝新幹線に飛び乗り、すぐさま神奈川県知事に取材、という日程であった。神奈川県庁舎も厳かで良かった。

 今回、10人の首長を取材し、庁舎が素晴らしかったのは神奈川県庁、名古屋市庁、埼玉県庁の3つ。歴史的建造物がきちんと残され、使われているというのは、住民の意識と関連性があるのだろうか。たぶん、あるのだろう。

(100724 第181 写真は大阪城天守閣)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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