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紺碧の将

徳富蘇峰の底なしのパワー

2019.09.17

 徳富蘇峰という名前は聞いていたが、どんなことをした人か詳しくは知らなかった。あることがきっかけでいろいろ調べてみると、人間離れしたパワーの持ち主であることがわかった。大正7年、なんと56歳のときにとりかかった『近世日本国民史』は、昭和27年まで35年間書き続けたという。脱稿したとき94歳、原稿用紙に換算して約24万枚。自分と比べること自体、とんでもなくおこがましいのは重々承知だが、私が書いた本は、せいぜい400枚前後だ。それくらいの本が600冊でちょうど24万枚。バルザックも顔負けの底力である。しかも、普通の人であれば少しずつ現役を離れていく50代半ばを過ぎてから執筆し始めたのだ。

 同書は織田信長から西南戦争後の大久保利通暗殺までを綴っている。緒論は織田信長の時代10巻、中論は徳川家康の時代19巻と孝明天皇の時代(幕末)32巻、そして本論として明治天皇の時代39巻、合わせて100巻という構成になっている。文久3年の生まれだから、明治〜大正〜昭和へと続く時代の変遷をつぶさに見てきた人物である。

 徳富蘇峰の父・一敬が人物だ。かの横井小楠の一番弟子であり、影に日向に大きな影響を息子に与えた。ちなみに蘇峰の弟は小説家の徳富蘆花だ。

 徳富蘇峰は同志社大時代に新島襄の薫陶を受け、ジャーナリストを目指す。父と大江義塾を開講し、平民主義を唱えるものの、日清戦争後の三国干渉によって遼東半島を返還する事態を目の当たりにし、大きなショックを受ける。その後、世界情勢を見るため、世界の有力国へ視察に出かける(ロシアではトルストイにも会っている)。帰国後、松方正義内閣の参事官に就任したことが変節と批判され、また日露戦争後のポーツマス条約締結を擁護したことで群衆から襲撃を受けた。それらが重なったことで、平民主義を唱えた蘇峰は、徐々に国権論に傾いていく。

 56歳でなにを思ったのかはわからない。戦国時代から江戸時代を経て、明治に至るまでの道筋を、蘇峰なりに整理したかったのかもしれない。タイトルに「国民史」とあるように、つねに国民目線で書きたかったのだろう。

 山中湖畔に徳富蘇峰記念館がある。娘がまだ幼かった頃、同じ敷地内にある三島由紀夫文学館を訪れたことがあるが、そのとき、徳富蘇峰記念館についてはまったく眼中になかった。しかし、久しぶりに同地を訪れ、蘇峰記念館のあと、三島由紀夫文学館を見たが、蘇峰館の方に断然軍配が上がる。かつて三島由紀夫の美文に憧れた時期もあったが、どちらかといえば今では遠ざけたいと思っているのはたしか。

 

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(190917 第932回 写真上は徳富蘇峰、下は徳富蘇峰館)

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