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紺碧の将

見えないものになにかを見る

2019.09.05

 伊豆半島へ行ったことは数知れずあるが、最南端を訪れたことは一度もなかった。

 最南端を石廊崎(いろうざき)という。写真でよく見る燈台があり、その下に石室(いろう)神社が、その先に熊野神社がある。

 石室神社はその名のとおり、巨大な岩にすっぽりはまっている神社で、御祭神は海上安全の神様と学問の神様。少し離れて社を見ると、この場所に神社をつくってしまった人のセンスに驚くばかり(写真下)。

 昨今のブームを反映してか、御朱印をもらえる。ところが、ここでいただいた御朱印はこれまでで最も貧相。「石室神社 奉拝」と赤いスタンプが押された余白に、筆ペンで日付を書き加えただけ。参拝客が少ないとはいえ、あまりにも手抜き。ありがたみはまったくない。これなら自分で書いた方がいい。

 熊野神社は岬に突き出した先端にあり、岩そのものが御神体となっている。御祭神は縁結びを得意とする須佐之男命(スサノオノミコト)。太平洋に面した岩にへばりつくように社がある。これまた、ここに神が宿っていると見た、いにしえの人の感性に感服。

 私の師・田口佳史先生がよくおっしゃるが、なにも見えないところに神が宿っていると察するには鋭い感性と深い精神性が必要であり、そういう感性を共通理解として大多数の人が持ち得ている国、それが日本であり、そこに日本人のすごさがある、と。たしかに、見えないものを見るという前提が通用するには、多くの人が「そこになにかを感じる」という共通した認識がなければならない。「この岩が神様だよ」と言われ、「え? これはただの岩じゃないの?」と返したら、それでジャンジャン、話はおしまいだから。

 伊勢神宮や出雲大社など、広大な社に包まれ、八百万の神を感じるのもいいが、なにげない平凡な風景(大半は大きな岩や巨樹や深い森だが)に神性を感じ取るというのもいい。

 お参りをしたあとは、身を翻し、太平洋の海原を眺める。海風に吹かれながら旨い空気をいっぱい吸い込む。贅沢な一瞬だ。

 

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(190905 第929回 写真上は石廊崎の最南端、下は石室神社)

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