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紺碧の将

ほんとうの美術鑑賞

2019.08.15

 自分の心の裡を怜悧に見つめれば、美術館が嫌な場所になり始めていることは明らかだった。

 10代の頃から美術館へ行くのが好きだったが、ここ十数年、行くたびに言い知れぬ徒労を感じている。鳴り物入りで開催される美術展は人の洪水である。人と人の間のわずかな隙間から作品の〝一部〟を見つめる。それがほんとうに心地よいことなのか、それは芸術鑑賞といえるのかと疑問に思っていた。

 決定的だったのは、今年、東京都美術館で開催された美術展だった。ポスターには私がずっと見たかった曾我蕭白の『群仙図屏風』が掲載されている。これは千載一遇のチャンスとばかり出かけたが、人混みのなかを我慢して歩きながら、最後までお目にかかれなかった。係の人に訊くと、「その作品は入れ替えのあと、後期に展示します」とのこと。ポスターをよく見ると、片隅にルーペでなければ見えないほど小さな文字で、後期に展示すると書かれている。

 詐欺だ!

 そう思った。一人に2回観させるための策略である。

 それ以降、派手な興行の臭いがプンプンとする展覧会には行くまいと心に誓った。芸術作品と静かに対面できる美術館にだけ行こう、と。

 ヨーロッパでは、人気のある企画展の場合、予約制になっていることが多い。一定以上の人が入らないよう、あらかじめ時間の指定されたチケットを買うのだ。

 

 静岡県下田市にある上原美術館は、山里奥深いところにあり、それがゆえに鑑賞者はわずかしかいない。にもかかわらず、展示している作品はどれも上品で、見せ方も洗練されている。

 昭和58年、大正製薬の3代目社長・上原正吉・小枝夫妻によって仏教美術館として開館したのが前身である。以降、長男の昭二氏がコレクションした和洋の近代画を展示する近代館を新設し、現在の上原美術館となった。

 仏教館の奥の展示室は、薄暗い照明のなか、まるで生き物のような仏像が鎮座している。短い時間の鑑賞でも心が浄められる。そんな空間である。

 大きな仏像ギャラリーには近現代の仏師によって彫られた仏像が130体以上も並んでいる。年月を経ていない分、ありがたみはないが、仏像の勉強にはなる。

 粋なのは近代館だ。モネ、ピサロ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソ、ボナール、シスレー、ルドン、ルソー、セザンヌ、ドラン、マティスなど印象派以降の作家たちと岸田劉生、黒田清輝、安井曾太郎など日本の近代画がひっそりと並んでいる。

 どれも小品だ。小品であるからこそ、間近で見る。それがいい。作品と対話ができる。

 感動したのは、岡鹿之助の『三色すみれ』にまつわるエピソードだ。ある女性コレクターがその作品に惚れ込み、購入するために生活をギリギリまで切り詰めたという。そうやって手にした作品が、ゆえあって上原美術館に嫁入りすることになった。

 美術コレクターときけば、資金力にものを言わせてバンバン買い付けるというイメージだが、生活を犠牲にしてでも買いたいと思う、その心がいじらしい。しかも、小品である。岡鹿之助はたしかに名を知られているが、印象派の画家の作品と比べれば、ずっと入手しやすいはずだ。絵をめぐる、人の心の機微が作品をさらに上質なものに思わせてくれる。

 近代館の奥に置かれている「観世音菩薩立像」もチャーミングだ。ちょっと前かがみで、なんともユーモラス。親近感を抱く仏像である。

 無人のラウンジも素敵だ。小さな庭の見える小奇麗な空間で、セルフサービスのコーヒーを飲みながら、絵を鑑賞した余韻を楽しむことができる。蔵書のなかに『名画の中の料理』という本を見つけ、帰ってからさっそく購入した。

 上原美術館での時間と、大規模な興行然とした展覧会での時間。似て非なるものである。

 

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(190815 第924回 写真上は仏教館のギャラリー:撮影可、下はラウンジ前の小庭)

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