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紺碧の将

巨樹と交わす、無言の会話

2019.07.30

 岡山県奈義町の那岐山麓、森閑とした山深く、菩提寺という古刹がある。6月のある日、人っ子一人いないこの寺を目指して行ったのには理由がある。大イチョウに会うためだ。

 広い駐車場から境内を見渡すと、即座にその存在がわかる。本堂から向かって右側の、少し小高い地に、摩天楼のごとく聳え立っている。

 高さ約40メートル、胴回り約13メートル、推定樹齢900年。威風堂々という言葉は、この大イチョウにこそふさわしい。

 この樹のいわれが面白い。法然上人が学問成就を祈願し、麓にある阿弥陀堂のイチョウの枝を杖にして挿したものが芽吹いたというのだ。ほんとうかどうかわからないが、そういう〝いわれ〟は重要だ。人々に尊敬され、脈々と言い継がれてきた証拠だから。

 この巨樹の隣に、もうひとつの巨樹がある。通称「天明のイチョウ」。なんと、大イチョウの枝が雪の重みで地面に着き、そこから分枝して育ったというのだ。こちらは樹齢200年以上。

 味をしめたのか、大イチョウの枝からおびただしい数の「垂れ乳」が伸びている。ホッテントット族のだらりと長いオッパイを想像して、あとじさりしてしまった。実はこれ、気根である。人間と同じように、呼吸している。根本に囲いがあるため、間近で見ることはできなかったが、ただならぬ妖気が漂っている。

 巨樹があるところ、気の流れがいい。当然のことだが、植物が長寿を保つには、想像を絶するほどの厳しい条件がある。それを乗り越え、数百年も生きているということは、その土地が生きるに適したところだからだ。

 もうひとつ、私が巨樹に会いに行く理由は、対面し、言葉を交わすためである。無言で語り合う。と言うと、気が触れたのか? と思われそうだが、実際、無言のうちに会話を交わしているのである。内容はあえて明かさないが、歴史の生き証人たる巨樹はさまざまなことを教えてくれる。どれも本質的なことばかり。しかも、授業料はいっさい受け取らない。

 ところで、菩提寺には車で一気に行くルート以外に、整備された遊歩道を登っていくコースもあるらしい。「らしい」と書いたのは、そこを歩いていないからだ。

 なぜかって? だって、名前が「蛇淵の遊歩道」という。そのあたりにヘビがウジャウジャいるからそういう名前がつけられたのは明々白々。そんなところに飛び込んでいく蛮勇は、私にはない。

 

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(190730 第920回)

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