多樂スパイス

ことばの街

2010.04.08

 松山へ行ってきた。

 実は、何を隠そう、四国を訪れたのは今回が初めてである。海外旅行は50回くらいしているのに、四国へ行ったことがなかったというのは自分でも不可解だった。そういう人が『Japanist』を作っていていいのだろうか。

 

「いいんです」

 

 ちなみに海外50回とは言え、北朝鮮やロシアはもちろんのこと、中国、韓国、香港、台湾にはまだ一度も行っていない。台湾だけは一度くらい行ってもいいかなと思っているが、他はおそらく死ぬまでに一度も行かないだろう。なぜなら、「行く理由がないから」。

 

 さて、仕事も含め、あちこちへ行くことの多い高久であるが、「ここなら住んでもいいな」と思ったのは今回が初めてである。

 なにしろ松山は街が美しい。ちょうど桜が満開だったからかもしれないが、手入れされた自然がうまく街と調和していた。特に松山城の光景は感動ものだった。市の中心部にほど近い山のてっぺんに天守閣がそびえている。下から見上げる、わが街の名城。畏敬の念を起こさせるには絶好のシチュエーションだ。街のシンボルを見上げて育つというのは、子どもの情緒にも最適だろう。

 さて、松山城のことは次回に譲るとして、今回は「ことばによる街づくり」を紹介したい。

 松山と言えば、文学。正岡子規が生まれ、夏目漱石とも縁の深い土地柄だけに、街の隅々に言葉が生きている。けっして大げさではなく、少し歩けば句碑にあたるのだ。あっちにもこっちにも俳句などを刻んだ石碑がある。

 偉大な先人たちの磨き抜かれたことばだけではない。松山では「ことばのちから」と銘打ち、広く市民から「ことば」を募り、選ばれたことばをふんだんに活用しているのである。

 市長賞をとったのは、「恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい!」であったが、私が気に入ったのは、「いろんな子が いっぱいおって かまん! かまん!」。いかにも気候温和でのんびりした土地柄という感じがするではないか。資料がないのでたしかなことは言えないが、こういう街で育った人に心の病や自殺者は少ないのではないかと思う。

 とにかく、プロの書き手に混じって、市井の人々が生み出したことばたちが、街角や路面電車の側面やロープウェーの下にあるネットや工事中のビルの壁面など、いたるところにある。

 この街づくりは、「松山らしさ」を求めた結果だというが、全国の模範になると思う。特に私は、言葉をなりわいにしているので、こういう環境整備は諸手をあげて賞賛したい。

(100408 第160 写真は、選ばれたことばが踊る路面電車の側面)

 

 

 

 

Profile

高久多美男

高久 多美男

(撮影:森 日出夫)

●1959年生まれ

●1987年、広告の企画・制作を営む株式会社コンパス・ポイントを設立

●2009年、『Japanist』を編集・発行するジャパニスト株式会社を設立(2019年1月、刊行終了)

●「遊び、学び、仕事は皆同じ」がモットー。すべからく本質を求める

■本は永遠の師匠

19世紀フランス文学から20世紀アメリカ文学、さらには現代日本文学。歴史(特に日本近代史)、あらゆる生活・芸術分野から政治・経済の分野まで、本には強いな愛着を示す

■No Music, No Life

あらゆるクラシック音楽と1950年代以降のジャズ、R&B、60年代以降のロック、ワールドミュージックなど、とにかく雑食

■生涯、美を求めたい

桃山から江戸にかけての日本美術、岡倉天心一派以降の近代絵画を特に好む。ヨーロッパの近代絵画など、こちらも雑食

■敬愛する歴史上の人物

尊敬する人物は大久保利通。ほかに幕末から明治にかけて活躍した男たち。戦国武将では武田信玄、戦後の政治家では岸信介

■思索の遊び

禅、儒学、老荘思想、マキャヴェリズムを組み合わせながら、独自の思想を構築中

■いやなもの

共産主義や日教組などの極端な左翼思想(極端な右翼も嫌い)、地球市民幻想、新興宗教

■その他

日常的に走る他、毎年夏、山に登る。体型はずっと変わらず。便利なことよりも美しさに価値を見いだす

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