多樂スパイス
HOME > Chinoma > ブログ【多樂スパイス】 > 酔狂な人が多い社会へ

ADVERTISING

紺碧の将

酔狂な人が多い社会へ

2019.05.15

 宮大工棟梁の小川三夫氏からの誘いで、長野県伊那市で開催された「全国削ろう会」を見に行った。

 削ろう会? と首をかしげる人もいるだろう。なにを削るのか、と。

 なんと、鉋(かんな)でヒノキ材を削る、それだけである。削り屑の薄さを競う、それだけである。

 ところが、それだけのために、全国から多くの人が集まってくる。今年は第35回。ということは、35年も続いていることになる。

 以前、私も鉋で木を削ったことがあるが、見た目ほど簡単ではない。少し力んでしまうと刃が深く入り込んで止まってしまうし、力が足りないと削り屑が切れてしまう。力の入れ方はもちろん、道具の状態など、あらゆる要素が高いレベルで噛み合っていないといい削りはできない。

 聞けば、この大会に参加する人は大工に限らないという。なかにはサラリーマンもいるというのだ。おそらく、そういう人は、会社から帰っったあと、ひたすら木を削り、刃物を研ぐなど道具の手入れをしていることだろう。

 うまくできたところで1円にもならないし、とくだん名誉なことでもない(と思う。そもそも、こういう大会があることを知っている人はほとんどいない)。それなのに、あれほど多くの人が真剣な面持ちで削っている。その姿を見て、「人間というのはオモシロイ生き物だ」とあらためて思った。

 案の定、そういうことに夢中になるのは男である。女の人は、基本的にそういう無駄なことはしない。

 男は何かがぶっ壊れているのだ。だから、「なんにもならないこと」に熱中する。鉋削りにハマった人の家族は、「いいかげんにして」とうんざりしているかもしれない。それでも、ハマってしまった男はあとに引けない。ひたすら削りまくる。そういうことを想像しただけで、笑みがこみあげてくる。「バッカだよなあ」と。

 みんなが合理的な生き方をしていたら、つまらない世の中になってしまう。バカなことをする人がいるから、世の中に潤いがもたらされ、ハンドルの〝あそび〟のようなものが生まれる。

 本来、男というものはそういう生き物なのかもしれない。それを枠に嵌めてしまうから、おかしなことになる。法律をはじめ、会社の規則など、年々細かくなるばかりだが、それがそもそも人間を不幸にする大本なのではないだろうか。

 

髙久多美男著『葉っぱは見えるが根っこは見えない』発売中

https://www.compass-point.jp/book/happa.html

 

「美し人」公式サイトの「美しい日本のことば」をご覧ください。その名のとおり、日本人の文化遺産ともいうべき美しい言葉の数々が紹介されています。

https://www.umashi-bito.or.jp/column/

(190515 第901回 写真はいずれも鉋で木を削っている風景)

ADVERTISING

Recommend

記事一覧へ
Recommend Contents
このページのトップへ