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紺碧の将

信玄の菩提寺と勝頼最期の地

2019.05.08

 山梨県北東部の甲州市にある恵林寺と景徳院を訪れた。前者は武田信玄の菩提寺であり、後者は勝頼最期の地である。

 信玄は若い時分から、心にひっかかるものがあると恵林寺へ行き、和尚と問答をした。菩提寺となったのは当然だろう。

 境内の入り口には国重要文化財に指定されている四脚門が、それをくぐると、あの三門がある。僧俗を問わず100人以上がここに閉じ込められ、信長に焼き討ちにされた。「心頭滅却すれば火もまた涼し」という有名な言葉は、その時、快川国師が唱えたとされる。

 三門をくぐると開山堂があり、その奥に武田信玄公訓言という言葉が刻まれた石碑がある。

 ――凡そ軍勝五分を以て上と為し七分を以て中と為し十分を以て下と為するの故は五分は励を生し七分は怠を生し十分は驕をするか故たとえ戦に十分の勝を得るとも驕を生すれは次には必す敗るるものなりすへて戦に限らす世の中の事此の心かけ肝要奈利

 

 自分の体験から会得したものだろう。若い頃の信玄は自信家で、驕りによる失敗を幾度か味わった。それを戒めとしたところに、非凡さがある。なにごとも失敗から得るものは大きい。

 本堂には生前、信玄が対面で彫刻させたといわれる明王やうぐいす廊下など見どころも多い。

 裏手には信玄と武田二十四将の墓所がある。杉の大木が立ち並び、信玄らを見守っているかのようだ。ちなみに信玄の正室・三条夫人はこの墓に入っていない。なにかというと出自を誇り、甲斐を愚弄する三条夫人を信玄は嫌った。男であれば、1000人中1000人が嫌いになるタイプだろう。

 ところが、知人の女性曰く、「三条夫人は湖衣姫や里見には容姿のうえで遠く及ばないから、血筋を前面にだして虚勢を張るしかなかった。そういう三条夫人が可哀想」。なるほど、そういう見方もあるのかと驚いた。

 

 時は下り、勝頼の時代。武田氏の版図は過去最大になるほど快進撃を続けたが、長篠の戦いで織田・徳川連合軍に破れてから勢いを失っていく。躑躅ヶ崎の館では敵の襲来を防ぎきれないとみた勝頼は天然の要害を背にした新府城を築こうとするが、信頼する武将たちに裏切られ、完成を間近にして城を出る。逃亡を続けたが現甲州市田野で命運が尽き、息子、弟、正室とともに自害する。

 景徳院には勝頼たちの墓がある。近くの小川には、勝頼の首を洗ったとされる「首洗い池」がある。

 合掌して信玄をたどる旅を終えた。

 

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(190508 第899回 写真上は恵林寺庫裡、下は勝頼公自害石)

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