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紺碧の将

ならまち風情

2010.03.02

 広島でチョンマゲ大将の寿司を味わった翌日、同じ広島県内の竹原市にある藤井酒造を取材で訪れて取材し(『Japanist』第5号、純米酒のコーナーに掲載)、その足で京都へ向かい、ワサブローさんと久しぶりにお茶をし、その後、近鉄線で奈良へ向かった。

 奈良から田口佳史先生の講義を聴きに東京まで通っているA氏と会食し、翌日、A氏と地元の建築家に奈良の町屋が並ぶ「ならまち」を案内していただいた。

 今、全国どの街へ行っても同じような風景が並ぶ中、奈良はさすがに歴史の重みを感じさせてくれる。タイムスリップしたかのような錯覚をおぼえる。

 平城京の碁盤の目の区画を生かしているため、入口は狭いが奥行きがある。奥行きの間取りはどの家もほぼ同じなので、中庭の位置が揃い、そのため夏になると風の通り道になるという。プライバシーを大事にしながら「公」を意識してきた当時の日本人の「思い」がしのばれる。

 外観の格子を見ていて、ふと思った。

 これは隈研吾ではないか!

 いや、ちがう。隈研吾のあの格子をうまく使ったデザインコンセプトは、町屋にルーツがあったのだ。

 

 残念だったのは、心ある地元の保存運動をあざ笑うかのように、虫食いのように空き地があり、マンション建設予定地という看板がいくつかあったこと。業者はほとんどが東京の会社だった。

 便利かどうか、儲かるかどうか、という観点に立てば、まちがいなく町屋は「否」であろう。

 しかし、そうでなければ残せないものがある。そうでなければ伝わらないものがある。

 A氏が言った。

 「向こうに見えるのが生駒山。大阪から来る汚い空気をあの山が浄化してくれる」

 そういう矜持が必要だと思う。

(100302 第152 写真はならまちの風景)

 

 

 

 

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