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紺碧の将

流れる雲のように

2019.04.09

 ついに60代の大台に乗ってしまった。

 今年は大きな節目なのだろう。10年続けた『Japanist』の幕を閉じ、自分の60年の集大成として『葉っぱは見えるが根っこは見えない』を著し、20年ともに生きてきた愛猫うーにゃんを失ったと思ったら還暦を迎え、来月は「令和」と元号が変わる。会社も無事、創業32周年を迎えた。

 

 20歳になった日のことは覚えていないが、その後の節目はきちんと記憶に残っている。

 30歳になった日、私はマニラのホテルの一室で目覚めた。セブ島へ二人だけの社員旅行をしたのだが、霧が深くてセブの空港に降りられず、マニラへ連れていかれたという事情があったのだ。シミのついた天井を見ながら、「ああ、30歳になった」と感慨にふけった。

 40歳になったのは、猛烈に文章を書き始めた頃である。羅針盤がはっきりと「もの書き」の方向を指し、私は直感に従った。

 50歳になった日は、『Japanist』創刊号の編集を終え、ホッと一息ついていた頃だ。友人・知人らがとあるホテルのバーでささやかなお祝いをしてくれた。

 そして、60歳。その前の日ととくだんなにかが変わっているわけではないのだが、気持ちの上では大きく変わっている。

 

 今年のはじめ頃、盆栽家・森前誠二氏に誘われて水石展を見たことはすでに書いた。その時、すごく印象的な書が目に入り、思わず写した。それが右上の「雲」。作者の名は控えていなかったが、署名を見ると、下の名は「則州」と読める。『日々是掃除』の秋吉則州さん? でも、姓は茅野とも読める。よくわからないまま、ここにアップさせていただいた。

 これまで、私は「自由であること」を標榜してきたが、これからはさらにその心境を深めたい。不自然なことはしない、作為は弄さない。それはまさしく雲そのものだ。大空を自由自在に流れていく。「流される」ではなく「流れていく」。自分の動力がついた雲である。

 私を求めている人があれば話を聞き、いいと思えば請け負う。オファーがなければ、楽しみながら自分を磨く。自分を磨くとは言うものの、とどのつまりは「書き・読み・仕事をする」である。

 そんな雲になって自在に生きていくことができたらいいな。10年経った頃は、一味ちがった風景が見えていることだろう。

 

「美し人」公式サイトの「美しい日本のことば」をご覧ください。その名のとおり、日本人が忘れてはいけない、文化遺産ともいうべき美しい言葉の数々が紹介されています。

https://www.umashi-bito.or.jp/column/

(190409 第891回)

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