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紺碧の将

大前研一とサボテン

2009.10.03

 先日、中田宏氏と大前研一氏の対談に立ち会った。『Japanist』第3号に掲載するためである。

 大前さんはどの角度から見ても自信の塊で、ひとことで言えば、「自尊と信念の牙城」。自らの思考と行動にいささかの疑念ももっていないと見受けられる。それは気持ちいいほどに。自信がそのまま白鵬関になったとでも言えばわかりやすいだろうか。

 対談が始まるやいなや、立て板に水のごとく言葉は溢れ続け、2時間半というもの、さしもの中田さんもほとんど聞き役に徹していた。

 その時、大前さんが言った言葉が印象的だ。ただ救済するだけでは自立した社会にならない。機会を平等に与え、ダメだったら切り捨てると言える勇気が必要だ、と。それでも立ち直れなかったら、最後は国家が最低限の生活保障をすべきである、と。

 今の日本は、その真逆だ。なんでもかんでも手厚く保護している。それなのに、「格差社会」だと糾弾され、もっともっと手厚くしてほしいとシュプレヒコールをあげられている。

 ほんとうにそうだろうか。ますます誰かに依存する癖が強くなり、結果的に「共倒れ」への道を歩むことになってはいないだろうか。

 

 大前さんの持論を証明するような光景に出くわした。我が家の駐車場の隅でのことだ。これには本当に驚いた。腰を抜かすまでには至らなかったが、アゴがはずれてしまった。

 なんとコンクリートの上に玉石を敷いただけのところに勝手にサボテンが自生しているのだ。しかも、サボテン用の土を使った鉢植えのサボテンよりずっと大きい(写真がそれ。左が自生、右が鉢植え)。

 これこそまさに、「救済しないがための強さ」だろう。

 

 こんなことを言うのもナンだが、自分を投影して見てしまった。

 私はたぶん、勝手に生えたサボテンの方だ。社会人になってからというもの、保護された覚えはない。雑誌を発行しているためか、私を資産家だと勘違いしている人がいるが、とんでもないことだ。会社の資本金もすべて自分で出しているし、特別な人がバックについているわけでもない。

 資格といえば、車の普通免許と珠算6級しかない。後者に関しては「資格とは言えない」と知人から強い抗議を受けた(3回目の挑戦でようやく手にした資格なのだが……)。

 従事する広告の企画・制作業はなんら資格が必要ない反面、なんにも保護されていない。つまり、「勝手にやってくれ」という世界だ。出版業にも資格はいらない。もちろん、役所から仕事をもらっていないのは言うまでもない。

 デザインも文章も専門学校や大学で学んだわけではない。そもそも大学など行っていない。

 それでもなんとかなっている。自分が何かをやらなければ食べていけないという危機感があったからだ。

 

 これをしてほしい、もっと補助金をくれ、格差はいけないなどと寝言を言っている暇があったら、ちょっとはこのサボテンを見習ったらどうだ。社民党や国民新党と組んだ民主党の致命的な判断ミスにより、ますますこの国は依存社会になっていくだろう。

(091003 第120回)

 

 

 

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