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紺碧の将

自分のための葬送曲

2018.02.18

 いつだったか、橋本五郎氏が、「自分の葬儀の時は、サラ・ブライトマンの『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』を流してほしい」となにかに書いていたのを読んだことがある。ふむふむ、それはドンピシャかも、と思った。

 では、私はどうか? あらためて考えた。ロックだと生き返ってしまうかもしれないし、ジャズという雰囲気でもない。シンフォニーやコンチェルトは壮大すぎる。となれば、室内楽ではないか。そうだ、室内楽だ!   

 では、なにを選ぶか? これがなかなか決まらない。ああでもない、こうでもないと、頭の中をこねくり回しては、振り出しに戻る。

 そこで、断腸の思いで(だれにも頼まれていないのに)、10曲を選んだ。これを全部流してほしい。参列者にとってははなはだ迷惑かもしれないが、故人のわがままを聞き入れて、最後まで聞いてほしい。

 

 プログラムはこの通り。

 ○シューマン/ピアノ四重奏曲

 ○フランク/ヴァイオリンソナタ

 ○バッハ/無伴奏チェロ組曲

 ○バッハ/ゴールドベルク変奏曲

 ○バッハ/平均律クラヴィーア集

 ○モーツァルト/ヴァイオリンソナタ第35番

 ○ブラームス/ピアノ三重奏曲第1番

 ○ベートーヴェン/チェロソナタ第3番

 ○ドビュッシー/ベルガマスク組曲

 ○ヴィヴァルディ/チェロと通奏低音のための6つのソナタ

 

 好きな順でもある。シューマンは、おりにつけじっくり聴く。何度聴いても堪能できる。フランクのこの曲について、私は以前、「外がひんやりして、中に温かいものが入っているスイーツ」だと書いた。バッハはどれも宇宙的、本源的。平均律クラヴィーア集は「24の前奏曲とフーガ」と副題がついている。息子に調性を肌感覚で覚えてもらうために、12の階調それぞれ長短で書いた。神業に近い。しかも長い。はたして参列者が耐えられるかどうか。モーツァルトのこのジャンルには佳曲が多く、まさにアイデアの宝庫だが、この一曲に代表してもらった。ブラームスのこの曲の冒頭はこの世のものとは思えないほど美しい。ベートーヴェンはピアノソナタではないの? という人も多いだろうが、私はこれが好き。ドビュッシーのこの曲は文章を書く時によくかける。冒頭を聴いただけで、執筆モードのスイッチが入る。ヴィヴァルディのこの曲は簡単そうで難しい。なにを隠そう、私は16年間、チェロを習っていて、ついぞまったくモノにならなかったが、この曲の複雑さはいやというほど思い知った。

 これら10曲を全部聴いてもらうには膨大な時間が要る。12時間くらいかかるだろうか。それでも聴いてもらうしかない。

「ったく、髙久さんは最後までわがままなんだから」

「こんなに長い葬儀は初めてだよ。まるで拷問だよ」

 こんなヒソヒソ話が聞こえてきそうだ。しかし、ただの物体となった私はなにも言えない。ただ、にんまりしているだけ。

 ようやくすべてが終わり、ざわざわし始めた頃、一人くらいは酔狂な人がいて、こう叫ぶにちがいない。

「アンコール!」

 えー????

 会場のどよめきをよそに、数人が同調して「アンコール!」と声をあげる。

 そこで私は遺族に伝えておいたアンコール曲を流してもらう。それがラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」である。

 なんと風雅で耽美的でわがままな葬儀なのだろう。こんな夢想をしたが、だれも本気にはしてくれない。

 

※悩めるニンゲンたちに、名ネコ・うーにゃん先生が禅の手ほどきをする「うーにゃん先生流マインドフルネス」、連載中。

https://qiwacocoro.xsrv.jp/archives/category/%E9%80%A3%E8%BC%89/zengo

(180218 第790回)

 

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