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紺碧の将

牛を殺してなにが楽しい?

2017.07.09

 今年の誕生日にもらった『ヘミングウェイ全短編』を少しずつ読んでいる。「世界初の完璧な短編全集。待望の日本語永久保存版」と帯に銘打っているように、未発表を含めたすべての短編が収められたもので、豪華な化粧ケースに入っている。デザインも秀逸。持っているだけで嬉しくなる。

 いままでにヘミングウェイの短編は何度読んだことだろう。簡潔な文体で、ストーリー性がほとんどないものが多いので、若い頃は魅力的とは思わなかった。しかし、いつしか、キリリと引き締まった文体と格闘することが快感となった。
 釣り、狩猟、闘牛、戦争、ボクシングなど、男っぽいテーマが多い。その一断面を切り裂き、人間の本質を暴き出す。それが彼の短編の特徴だろう。

 闘牛のシーンを描いた作品を読んでいるとき、マドリッドで見た闘牛を思い出した。
 スタジアムは超満員。白い手袋をはめた貴婦人も目についた。
 筋骨隆々の牡牛がスタジアムに駆けこんでくると、大きな歓声が上がる。牛は殺気だっていて、猛烈な勢いで闘牛士に襲いかかろうとする。ほんのわずかの距離を残して体をよける。それを何度か繰り返した後、闘牛士の仲間たちが槍や銛を牡牛に突き刺す。
 次第に体力を消耗する牡牛。目が血走っているのが遠くからもわかる。
 やがて、大量の血を口から吐き出す。たまらず巨躯はひっくり返り、大地にすべての体重を預ける。とどめの銛を眉間の上に突き刺されると、四肢を真っ直ぐ上空へ向かって突き上げ、ほどなくして事切れる。
 すると屍となった哀れな牡牛を引きずって場外に運ぶや、次の牡牛が登場する……。
 そういうふうにして、5頭か6頭の牡牛が殺される。
 私は途中から牡牛の方に感情移入していた。「これじゃ、不公平だ。みんなで寄ってたかって殺しているだけじゃないか。頼むから殺される前に、一矢報いてくれ」と願った。「闘牛士の腹をその偉大な角でかっさばいてもいいぞ」と。
 しかし、〝願い〟もむなしく、牡牛は次々と殺される。
 たしかに、ヘミングウェイの作品を読むと、闘牛士が命がけなのはわかる。生と死のギリギリのところに賭ける執念もすごいと思う。一瞬を生きるという緊迫感もまねはできない。
 でも、不公平だと思う。
 貴婦人がはめていた白い手袋と、牡牛がゴボッ、ゴボッと吐き出す赤い血の色が、脳裏でどうしてもそぐわなかった。
 日本人が皮膚感覚で闘牛を理解するのは難しい。
(170709 第735回 写真上はマドリッドの闘牛場。下は『ヘミングウェイ全短編』)

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