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紺碧の将

苦情だらけのニッポン

2017.01.11

%e9%81%8a%e5%85%b7 先日、新聞の一面見出しを見て、憤慨した。「保育所苦情 自治体75%」とある。記事によれば、保育施設の子供たちの声をめぐって、「うるさい」などと苦情を受けた自治体が、全国主要146自治体のうち109自治体にのぼるという。それによって、開園中止や延期を余儀なくされたケースも紹介されていた。

 また苦情か、と呆れ果てた。
 今月発行する『Japanist』32号の小欄「葉っぱは見えるが、根っこは見えない」で、私は「落ち葉が汚いからなんとかしろ」という苦情を受けて、葉が落ちる前に剪定をしてしまう風潮に文句をつけた。そもそも街路樹は先人たちから受け継いだ文化的財産だし、季節が来れば葉っぱは落ちるものだ。それを汚いと思うのは、そう思う人の心が汚いからだが、百歩譲ってそれはいいとして、「落ち葉をなんとかしろ」「伐採してしまえ」などとクレームをつける輩の心中が理解できない。
 
 私はそういう身勝手な大人が大量発生したのは、戦後の憲法にあると断じた。第10条から始まる第2章がそれを助長した、と。
「国民の権利及び義務」と題された章は同憲法において最も多くの字数を占めているが、その中で自由という言葉は9回、権利は16回も出てくる。それに対して、責任と義務はそれぞれ3回しか出てこない。人権が侵害された戦前の反動もあったのだろうが、著しくバランスを欠いている。その結果、権利と自由だけを主張する人が増えてしまったのは当然といえば当然。自由と権利を主張するのは、知識人として模範的だと思っているような人もいるが、それはまったくの勘違いである。公共の利益に反する行き過ぎた主張など、ただの野蛮な行為に過ぎない。   
 このことは、自分たちの生存権を最低限担保する安全保障に関しても同様のことが言える。以前より減っているとはいえ、わが国ではいまだ安全保障について語ることを由としない人がたくさんいる。「安全保障なんて考えるのも嫌、とにかく戦争反対、嫌なものは嫌」と拒絶するばかりで、ちっとも考えようとしない人たち。「葉っぱが汚いからなんとかしろ」「子供たちの声がうるさいから保育園なんか作るな」という苦情と同根である。とにかく、自由と権利を脅かされるのが死ぬほどイヤだという人たちなのだ。それらクレーマーのほとんどが、現役を引退した男性だというのも情けない。本来であれば、お手本を示すべき立場の人たちが、自分の権利を楯に文句ばかりつけている。
 どうして「子供は元気でいいなあ」という目で見られないのか。どうして「少しはあの元気を分けてもらおうか」などと思えないのだろうか。
 子供がうるさいといっても、登園する時と帰る時くらいのものだろう。運動会がうるさいといっても、一年中朝から晩までやっているわけではない。
 もはや彼らになにを言っても無駄なのだろう。世代交代を待つしかないのか。
(170111 第692回)

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