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紺碧の将

ひとり娘の出立

2016.03.30

 この春、新たな門出にたつ若者も多いだろう。わが家のひとり娘もその一人だ。

 社会人となるからだ。明日、入社式が済んでから長野へ向かい、2週間の合宿研修を行った後、その足で赴任先の名古屋へ向かう。つまり、今日が家族と過ごせる最後の日である。都内勤務を希望していたが、叶わなかった。

 

──あの子が社会人ねぇ〜。
 私の記憶のなかにいる「幼い日の娘」といま身近にいる「現在の娘」がときどき整合しない。別々の人間ではないかと思うことがある。ただし、同じ記憶をもつ者同士の。
 よく遊ぶ子だった。私は「学べ、遊べ、本を読め」の3戒を諭してきたが、本人が一生懸命だったのは、「遊べ」だけ。とにかく、嬉々として遊ぶ子だった。一日中どころか、何日だって遊んでいる。
 ときどき言った。「おまえは昭和の子だ」。
 いま、遊べない子が多いことを思うと、いつでもどこでもだれとでも遊べるのはいいことだと思う。
 そうさせてしまったのは、私たち両親、特に私の影響だろう。小学5年生になって突然訪れた思春期まで、私たち家族は20回近くも海外旅行をした。国内にはもっと行った。その都度、学校を休ませて。つまり、娘は「遊びは学業に優先する」という父親のお墨付きを得ていたのだ。
 本人は覚えていないかもしれないが、その時にとことん話したことは彼女の血肉になっていると信じている。いまでも食卓を囲んでは、さまざまなテーマで話す。

 幼い頃は複雑な折り紙が得意で、何十種類も覚えていた。折り紙をつくってあげると、アジア人も黒人も白人も満面の笑みで喜んでくれた。そういうことを娘は肌で実感した。じつに貴重な体験をたくさんしたのだ。
 幼稚園の時から、毎週土日、作文を続けた。本人の希望によって始めたことだ。テーマは自由。その都度、私が赤ペンで添削した。
 一日中、外出していた日曜日など、帰宅してから作文を書くのが嫌で、「明日、学校だから早く寝る。だから、書けない」と言ってきたことが何度かある。私はその都度、「パパとの約束と学校へ行くことと、どっちが大切なの?」と訊いた。答えはもちろん前者だと知っている娘は、しぶしぶ書いた。
 その習慣は小学5年まで続き、書き溜めた原稿はファイリングしてある。そのことによって文章能力が上がったかどうかはわからないが、得難いものを培ったような気がする。
 学校へ行くのが嫌だと言ったことはない。というか、精神状態がいつも安定しているヤツなのだ。不機嫌だったのを見たことがない。それは母親の影響かもしれない。
 それにしても大きい会社というものはありがたいものだ。親ができない教育をしてくれるのだから。しかも、給料を払ってくれながら。もちろん、その「社員教育」のなかにはあまり手放しで喜べないものもあると思う。しかし、社会人として通用する人間にしてくれるのだから、じつにありがたい。
 娘の出立にかこつけて、家族で何度も外食をしている。娘がこう言った。
「つらくなった時は、知覧のことを思い出すわ」
 昨年11月。卒業記念に家族で旅行へ行こうと言ったら、娘は知覧へ行きたいと言った。そして、当時の青年たちの哀しい運命をまざまざと感じ取ってきた。あの時の彼らの無念を思えば、なんだって苦しくはないというのだ。
 その言葉を聞いた時、わが家の子育ては間違っていなかったと確信を得た。
 とはいえ、今までさんざん遊び惚けていた身にとって、これからの数年間は厳しいものだろう。本人の希望とはいえ、営業職である。しかも、名古屋ときた。
 ジョーク集を読んでいたら、次のようなものがあった。

 

 東京人、大阪人、名古屋人の3人が会食した。
 会計の時、
 東京人「予算足りるかな」と考えた。
 大阪人「割り勘にしたらなんぼやろな」と考えた。
 名古屋人「お礼の言葉を考えた」

 

 そういう場所で修練を積むのもいい。
 さあ、娘よ。学べ、遊べ、本を読め。そして働け!
(160330 第626回) 

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