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紺碧の将

命の最期の灯をとらえた、魂の絵

2016.03.09

歴史博物館 画家であれば、生涯に一枚でいいから後世に残る作品を描きたいと思うだろう。

 

 五姓田義松という画家のことは、最近知った。ゴセダヨシマツと読む。前回の小欄で大久保利通に関する本を集中的に読んでいると書いたが、『大久保利通の肖像』という本の装画を描いた人が五姓田だった。線描ながら、人となりを的確にとらえ、顔の周りに容姿の特徴をびっしりメモしている。なるほど画家というのは、これほどまでに細部を丹念に見ているのかと感心することしきりだった。
 絶妙のタイミングとはこういうことを言うのだろう。NHKの「日曜美術館」で五姓田が取り上げられたので見た。
 凄まじいほどの描写力で若い時分に国内最高峰まで登りつめ、フランスへ渡る。明治のはじめ、まだ日本人で洋画をものにした人はいない。五姓田はその先駆けになるはずだった。そう、黒田清輝や高橋由一よりも先に。
 ところが、陰鬱な作風が時代のニーズと合わなかったのだろうか。世は、印象派まっさかり。ルノワールやシスレーなどの絵に馴染んでいる人たちにとって、五姓田の作品は暗く、冴えない絵に映ったかもしれない。
 そんなわけで、五姓田の後半生は失意の連続だったが、時代のニーズがどうあったとしても、いい作品は後世に残る。
 ずっと援助の手を差し伸べてくれた大切な母が亡くなる前の日に描いた『老母図』を見たいと思い、横浜にある神奈川県立歴史博物館を訪れた。
老母図 あったあった。郷土の資料が並べられた展示室の奥のショーケースの中に、無造作に置かれていた。
 想像していたものよりはるかに小さなサイズだった。しかし、描かれていた老母は、まさに命の火が燃え尽きる前の一瞬の姿だった。目は虚ろだが、たしかに息子の姿をとらえている。やせ細った喉や腕、黒ずんだ皮膚の色、枕に投げ出された髪の毛など、すべてが怜悧な筆致で描かれている。自分を産み、育て、愛してくれた母の最期を看取る五姓田の狂気が伝わってくるようだ。
 この絵を見た衝撃は、生涯私の脳裡に刻まれるだろう。
 やっぱり本物を見なきゃダメだ。そう教えられた。
(160309 第621回 写真上は神奈川県立歴史博物館、下は五姓田義松作『老母図』)

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