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紺碧の将

清原和博が社会に与えた2つのこと

2016.02.14

 元プロ野球選手の清原和博が逮捕された。いかにも「暴力団と仲良くて、麻薬やってますよ」という風貌だったので、「やっぱり」という印象が強い が、当然のことながら世間は大騒ぎだ。

 ここでは、事の善悪を述べるような無粋なことはしない。東南アジアや中国なら問答無用で死刑だろうし、情状酌量の余地はない。
 一方、「子供たちの夢を壊した云々」という見方には与しない。なぜなら、子供たちは大人が思っているよりも世の中の出来事を冷静に見ていて、野球選手だから、あるいは会社の社長だから、政治家だから善良だとは思っていない。いい人もいれば悪い人もいると、ちゃんと理解しているのだ。実際、聖職者の中にもいい人・悪い人がいるし、さらに言えば、一人の人間のなかにもいい面と悪い面が共存している。そういう意味では、今回の事件は「よい子」にとって恰好の「反面教師」になる。
 ここで言いたいことは、清原が社会に与えた2つのことだ。
 ひとつは言うまでもなく、国民的スポーツである野球において、多くの国民を魅了したということ。私はいちおう野球ファンを自認しているが、清原のファンではなかった。日本シリーズでジャイアンツと闘った時、一塁を守りながら感極まって泣いたあのシーンはさすがにジーンときたが、それ以外は清原に特別な感慨はなかった。少年時代はバットを抱いて寝ていたというのだから、まさに野球の申し子だったとは思うが……。
 もうひとつ、世間に与えた大きなことは、清原ほどの有名人が没落した姿を世間にさらすことによって、多くの人の心になんらかの慰めを提供したことだ。
 ラ・ロシュフコーも言っている。
「親友が逆境に陥った時、われわれはきまって、不愉快でない何かをそこに見出す」
 多くの人にとって清原は親友ではないが、かつてはヒーローであった。そういう彼が、あろうことか麻薬に手を染め、家庭も崩壊し、見るも無惨な姿をさらしている。自分の状況と比べ優越感に浸るには、うってつけの存在だ。
 一連の報道を見て、人は思ったことだろう。「清原のような才能はなかったけど、ヤツよりはマシな人生だ」と。そう、清原は憧憬の対象であった後、憐憫の対象になってしまったのだ。図らずも。
 清原に限らず、有名人であればあるほど没落する時のインパクトは強い。人はこぞってその無残な姿を見たがり、自分が平凡であることを慰める。そういう現象があちこちで散見される。やっぱりロシュフコーの言った通りだと納得している。
 なぜ、清原はそういう人生になってしまったのだろう。麻薬の密売人は「こいつは絶対にひっかかる!」と見込んで、清原に近づいたはずだ。間違っても、元ヤクルト・スワローズの古田選手には近づかなかっただろう。
 それが人間の持つ、波動の意味だと思う。
 肝に銘じよう。
(160214 第615回)

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