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紺碧の将

山、動く

2015.10.04

山田宏 子供の頃から本が大好きだった。今でも読書の習慣は変わらない。いや、むしろ以前に増して本が面白い。

 今夏の登山の際、不覚にも本を携えておらず、山小屋で煩悶したときのことが脳裡に甦る。新聞でもチラシでもなんでもいいから文章のあるものを読みたいと禁断症状が現れたのだ。
 そんな私の読書の主戦場は文学だが、他にも好きなジャンルはたくさんある。特に歴史、さらにいえば、明治以降の近代史が好きだ。なぜなら、その頃の歴史は現在とかなり密接につながっている。例えば、当時、大久保利通や伊藤博文や陸奥宗光が下した判断が、今につながっている(いい面と悪い面があるのは当然のことだが)。
 と、ここで本題に入る。
 近代史をテーマにしたさまざまな本を読んでいるうち、次のような疑問が湧いてきた。

「あの頃(明治)はすごい政治家や外交官がたくさんいたのに、今の政治家や外交官の体たらくはなんだ?」と。付和雷同する政治家ばかりを見ているうちに、暗澹たる気分になってきた。
 2007年、当時発行していた『fooga』の取材で中田宏氏に出会い、感動した。こんな政治家がいたのか、と。当時、中田氏は横浜市政改革を断行中で、全身これエネルギーの塊だった。その後、日本のこと、政治のことなどを語り合ううち、「それにしてもわれわれ日本人は生まれた国のことを知らないよなあ」という会話が発端となって『Japanist』の構想に発展した。

 『Japanist』には政治のテーマも入れたいと思った。そして、その第1回目にふさわしい人物は誰か、と中田氏と話し合った。彼は「山田宏さんがいちばんいいと思いますが、創刊号ではなく、何号か出した後にしましょう」と言った。山田氏の杉並改革も〝凄まじい〟ほどの実績をあげていたのだ。
 すかさず、私は「その時にベストと思える人を紹介しましょう」と異を唱え、山田氏にコンタクトをとった。2009年3月のことだった。おりしも松下政経塾の塾頭だった上甲晃氏を先頭に、日本の政治を根本から変えていこうという動きが始まった頃だった。

 以来、「思いを託す政治家」として「山田宏」「中田宏」の名をあげている(くしくも○田宏なのはどういう因果関係?)。明治期の政治家に感銘を受けた私の思いを託し続けているのは、この両氏なのだ。言い換えれば、最初の出会いから今まで、失望させられていない。これはスゴイことだ。期待が大きければ、失望する可能性も大きい。まして、政治の世界は常に志と妥協のせめぎあいだ。いつもいつも自分の信念を貫き通すことほど困難なことはない。しかし、両氏はずっとブレない。自己保身とは対極にあるから、辛酸も舐める。実際、今、彼らは議員バッジをつけていない。
 さて、山田宏氏が動く。私は勝手に、「山、動く」と言っている。山が動く時、大きな変革が起きるからだ。
 かねてから親交があった安倍総理からのたっての要望を受け容れ、来夏の参院選(全国区)に自民党から出馬することになった。参院では山田氏のアイデアと実行力が生かせないのでは? とも思ったが、まずは安倍さんが首相在任中に国会議員となり、国政に携われるポジションを確保することはきわめて重要だと思い至った。
「落ちてもいいから、言いたいことを言う」
「国民や自民党が嫌がることも言う。それを言えなければ、未来が描けないから」
 山田氏のスタンスはまったく変わらない。だからこそ、当選までは茨の道だろう。
 しかし、ぜひとも奮闘していただきたい。そして、日本を攪乱してほしい。あの杉並改革、そして国会での従軍慰安婦問題での質疑はじつに見事だった。
 一方の中田氏はいまだ浪人中だが、行く末に関して私はまったく知らない。そういうことは政治家であれば自分で決めることであり、支援する立場としては粛々とその決断を受け容れるだけ。いずれにしても、両氏の活躍の場はまだまだある。野に放っておくのはもったいない。
(151004 第584回 写真は山田宏氏)

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