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紺碧の将

「ベイシー」の濃縮密度

2014.09.27

ベイシー外観 去る5月、不肖・私が主宰する多樂塾に、エアロコンセプトの菅野敬一さんの紹介で一人のアメリカ人が入塾してきた。正直、講義の内容は本質論ばかりで、人によっては「雲をつかむよう」な内容だし、まして外国人にどの程度伝わるだろうかと危惧していたが、無用な杞憂だった。

 そのネイザン・エルカート君(31歳)、一般の日本人以上に難しい日本語を読み書きし、日本の文化にも通じている。さらに礼儀正しいときたもんだ。
 イェール大〜東京工大で建築を学んでいたことから日本のゼネコンに入社したが、どうしても日本の企業の風土になじめず退職したばかりだった。
 その後、彼との交誼は続き、いまでは英訳の仕事を手伝ってもらうまでになった。次号『Japanist』から連載記事も始まる(もちろん、日本語で)。
 ところが残念ながらネイザンはアメリカへ帰国することになった。彼はオーディオ好きということもあるので、帰国する前に「日本でもっとも素晴らしいオーディオ装置」と言われている岩手県一関市の「ベイシー」というジャズ喫茶へ行こうとあいなった。
 ライブがあればなおいいなと思い、事前に電話をしてみた。
「今後のライブ情報を知りたいのですが」
「9月は○○、12月は○○」
 電話の相手はぶっきらぼうに答えた。
「その他にはないんですか」
 安易に訊いてしまった私が迂闊だった。少し間を置いた後、相手はこう答えた。
「うちはしかたなくライブをやってるんだよ。断れなくて。そもそもうちはレコードを聴かせる店なんだから」
 明らかに不愉快そうな声だった。
「ああ、そうでしたか。失礼しました」
 私はそそくさと電話をきった。
「レコードを聴いてもらう」ではなく「聴かせる」というところが泣かせる(笑)。
 というような経緯があったが、私は基本的にそういうオヤジが好きである。どこにでもいる人畜無害なオジサンより断然興味がわく。
聴き入るネイザン 店に入ると、大音量でジャズが流れていた。一瞬、ライブ演奏をしているのかと思った。もちろん、そうではなく、アナログレコードをかけていただけだ。薄暗い店の奥にドデカイJBLのアンプが鎮座しているのが見えた。箱はオリジナルで造ったのだろう。
 くだんのオヤジが水とおしぼりを持ってくる。「コーヒー2つ」と注文するが、ウンともスンとも言わない。もちろん、笑顔もない。どこへ行っても過度な接客をされている身には、逆に新鮮に映るから面白い。
 やがてコーヒーと勘定書を置いていった。ネイザンが勘定書を裏返し、「1000円×2」という走り書きを見てニヤリとする。ちなみにベイシーではコーヒーも缶ビールも1000円だが、それを高いと思うか安いと思うか、極端に意見が分かれるだろう。ま、そもそも高いと思う人はあえて岩手まで行かないと思うが。
「ちょっと店内を見てもいいですか」とネイザンが私に訊く。この場合は訊く相手をまちがっている。私は安易に「いいと思うよ」と答えた。
 店内のあちこちを見て回ったネイザンは2度ほどオヤジに叱られ、戻ってきた。いい帰国みやげになっただろう。
 それにしても素晴らしい空間だった。音がいいのは当然として、その音に合った空間に仕上がっていた。これは一朝一夕にできるものではない。事実、開店して45年ほどになるはずだが、オーナーである菅原正二さんの魂が隅々まで行き渡っていると感じた。

 ジョン・コルトレーンのヴィレッジ・ヴァンガードでのライブを聴いている時だった。リードを通してサックスに吐き出されたコルトレーンの息が、そのまま音色となって目の前で再生されていると本当に思えたのだ。「そこに!」コルトレーンがいると錯覚を覚えた。サックスの音は、生き物のようにふくらんだり縮んだりしながら波をつくっている。ピアノは硬質で、立体感がある。ベースはある一定のリズムとハーモニーをともなって自分を包んでくれるかのようだ。音というより、なにか得体のしれない「物体」が体中の毛穴を通して侵入してくるといった感覚だ。これにはネイザンも感服したらしく、「そろそろ出ようか」と言っても、「もう少しいいですか」と返ってきた。コーヒーと缶ビール1本で2000円也。あの音を聴けてこの値段は安いものである。
 レジで『聴く鏡』という菅原さんの著書を購入し、今、読んでいる。独特のクセのある文体で、読みづらいのだが、ときどき不意を突かれる文章がある。感性と信念が際立っている。
 本の帯にあるコピーがいい。
「趣味は面倒なものに限る。面倒は愉しみを持続させ、楽はアクビをさそうだけ」
(140927 第524回 写真上はベイシーの外観、下は音楽に聴き入るネイザン)

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