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生まれてきたこと自体が神様からのご褒美

2014.09.14

鳥海山頂上にて 山形県と秋田県の県境にある鳥海山に登った。『Japanist』第22号で紹介した山岳写真家・青野恭典氏から「とてもいい山」と薦められていたので、善は急げと実行した。

 「なにかをすれば、もれなくなにかが得られる」は私の信条でもある。もちろん、その「なにか」とはいいことばかりとは限らない。時には、とんでもなく悪いこともある。しかし、今までの経験上、なにもしないよりはマシなことが多い。
 さてさて鳥海山。出羽富士という異名をもつくらいだから、独立峰だということはわかる。遠方から見る姿はなだらかで、南北アルプスを登っている身としては、いかにも子供だましという感じがしないでもない。事実、標高は2236メートルしかない。
 五合目から登り始める。最初から直射日光を受ける。低木の樹林帯が少しある程度で、基本的に岩山だ。真夏はきついだろうなと思う。
 しばらくはゆるやかな登りで、「これならトレッキング気分で楽勝だ」と楽観的になった。
 様子が変わったのは、頂上(新山)付近だ。大きな岩が重なった状態が続き、「ロッククライミングではないか」という様相を呈してきた。足場が濡れている日はかなり危険かもしれない。足が短い人も同様だ(その点、私岩場は大いに安心だが)。
 食事にありつけなかったのは予想外だった。登る当日の朝、ホテルの従業員に「山の途中で食事はできますか」と訊いたら、山形弁で「YES」と返ってきたので安心していたのだが、山小屋は閉まったまま。頂上付近の山小屋で缶ビールを飲んだだけだった。往復8時間の帰り道は空腹との闘いでもあった。
 とはいえ、やはり山はいい。五感が全開状態になる。なにも考えなくても脳が勝手に働いてくれる。ポジティブシンキングを求めている人は山に登るといい。山に登って、悲観的になる人はあまりいないと思う。人間本来の姿を取り戻させてくれるのだろう。
 人間は、生まれてきたこと自体が神様からのご褒美。であるにもかかわらず、つまらないことでウジウジと悩むのは、明らかに自然に反している。些細なことでクヨクヨせず、目の前のことを思いっきり楽しむことだ。それがこの世に生まれてきた人間の「責任と義務」ではないだろうか。
 と言うと、拡大解釈をする人が多いかもしれない。自分だけが楽しめればいいというわけではないのは言わずもがな。人に迷惑をかけず(できれば人の役にたちながら)、自分らしさを発揮し、とことん楽しむ。そのためのアプローチは無数にある。それを考え、実行することもまた楽しいのである。
(140914 第522回 写真上は鳥海山頂上の高久、下は頂上付近の岩)

 

Profile

高久多美男

高久 多美男

(撮影:森 日出夫)

●1959年生まれ

●1987年、広告の企画・制作を営む株式会社コンパス・ポイントを設立

●2009年、『Japanist』を編集・発行するジャパニスト株式会社を設立(2019年1月、刊行終了)

●「遊び、学び、仕事は皆同じ」がモットー。すべからく本質を求める

■本は永遠の師匠

19世紀フランス文学から20世紀アメリカ文学、さらには現代日本文学。歴史(特に日本近代史)、あらゆる生活・芸術分野から政治・経済の分野まで、本には強いな愛着を示す

■No Music, No Life

あらゆるクラシック音楽と1950年代以降のジャズ、R&B、60年代以降のロック、ワールドミュージックなど、とにかく雑食

■生涯、美を求めたい

桃山から江戸にかけての日本美術、岡倉天心一派以降の近代絵画を特に好む。ヨーロッパの近代絵画など、こちらも雑食

■敬愛する歴史上の人物

尊敬する人物は大久保利通。ほかに幕末から明治にかけて活躍した男たち。戦国武将では武田信玄、戦後の政治家では岸信介

■思索の遊び

禅、儒学、老荘思想、マキャヴェリズムを組み合わせながら、独自の思想を構築中

■いやなもの

共産主義や日教組などの極端な左翼思想(極端な右翼も嫌い)、地球市民幻想、新興宗教

■その他

日常的に走る他、毎年夏、山に登る。体型はずっと変わらず。便利なことよりも美しさに価値を見いだす

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