多樂スパイス
HOME > Chinoma > ブログ【多樂スパイス】 > あるものがなくなるということ

ADVERTISING

紺碧の将

あるものがなくなるということ

2014.09.07

消えた桜並木 久し振りに宇都宮の自宅に戻り、愕然とした。近くの「桜並木」の桜がすべて伐採されていたのだ。

 桜並木に「 」をつけたのは理由がある。よくあるように、道沿いに並んでいるわけではなく、ある工場の「敷地内の道路際」に並んでいたのだ。敷地内のあちこちにあった桜を住民に見せたいと思ったのか、ある年、道路際に移植してくれた。すでにかなり大きくなっていた桜ばかりだったので、膨大なコストがかかったと思う。しばらく四方八方からワイヤーで引っ張られていた。
 一列に並んだ桜は、毎年春になると見事な花を咲かせた。春だけではなく、夏も秋も冬もそれなりの風情があって、大好きな小径だった。ジョギングコースである栃木県総合運動公園へ行く際は必ず通る小径だったし、娘が小さかった頃、散歩をしたコースでもある。
 数年前、工場が閉鎖され、しばらく空き地となっていたが、最近、あやしげな社名の「社有地」という看板が掲げられ、イヤな予感がしていた。
 民間の敷地ということもあってか、反対運動も起きなかった。そもそも、宇都宮で反対運動が起こることは稀だ。私が記憶しているのは県庁舎建設反対運動と二荒山神社前の高層マンション建設反対運動くらいだ。昔から自然災害がほとんどなく、みんなで力を合わせるということがない。めいめい勝手にやる傾向が強い。かくいう私もそうで、組織になじめず好きなように生きているのはそういう影響が少なからずあると思う。
 もっとも、だからこそ日教組のような団体の思想に染まらなかったということもあるのかも。なにしろ、栃木県は日教組の組織率がほぼゼロなのだ。保守系の教職員組合があるが、これはある代議士の尽力の賜である。もし、私が日教組にどっぷり浸かった思想であったら不幸な人生を歩んでいた可能性大だから、そういう点はラッキーだったと思っている。
 ところで、桜並木の話だった。
 あるものがなくなるということが、これほど喪失感を味わわせてくれるのかとあらためて思い知った。不要なモノをどんどん捨てるのは気持ちいい。まさしく、断捨離。しかし、愛着のあったものが突如なくなってしまうと、その空白はそのまま心に空白をつくる。親しい人が亡くなったような感じといえばいいのだろうか。
 くだんの工場跡地。さて、どんなものが建つのだろうか。敷地の隅に整然と並んでいた桜を全部伐採しなければいけないような建設計画なのだろうか。不幸中の幸いといおうか、正門前の大ケヤキだけは命を救われたようだが……。
 伐られた桜の傷みは、土地に残っている。強欲な人間の所業が、いったいどんな審判を受けるか。
(140907 第521回 写真上は桜並木伐採後の風景)

ADVERTISING

Recommend

記事一覧へ
Recommend Contents
このページのトップへ