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紺碧の将

江戸時代の生き証人

2014.06.22

吉野の森で 前回、高野山の宿坊に泊まった話を書いたが、一番の目的は吉野の木材市場で板を買うことだった。燻製の達人・津川清子さんが燻製を盛りつける際、必ず使用するのがスギの板。それがあるだけで燻製が映えるし、その場の雰囲気も一気に変わるのを何度も見て、ぜひ私も欲しいと思っていた。
 吉野から多樂塾に来てくれている森本昌清さんに、「かくかくしかじかの板を買いたいのだが、吉野で買えるでしょうか」と訊いたところ「ウィ」という返事があった。
 森本さんに案内されて行った奈良県銘木協同組合市場で、私は2枚のヒノキを購入した。そのまま使うにはラフ過ぎるので、板面をきれいに研磨してもらうため、グリーンフォレストという木材加工専門の会社に持ち込み、田中寿一社長にお願いした。その後、一週間ほどで仕上がり、東京の自宅と宇都宮の自宅に送ってもらったのである。
ヒノキの板 このヒノキ、樹齢は250〜400年とのこと。伐採されてどれくらいたつのかわからないが、江戸時代に生まれた木がまだ息をしているのが驚き。
 吉野からの旅装を解いた瞬間、生木独特の香しい匂いが部屋に充満した。さっそくテーブルに置いて、肴をつまみながら酒を飲む。なんて、安らぎに満ちた時間なのかと思う。板1枚の到来によって、生活空間ががらりと変わってしまったのだ。
 板面に刻まれた年輪をじっくり見ると、えもいわれぬ感動が体の内側からわき起こってきた。それほど長い間、いったいこのケヤキは人間たちの営みをどんな思いで見てきたのだろう。そう思いを馳せると、涙が出そうになるほど感動した。
森久の倉庫 道中、森本さんが経営する会社も見せていただいた。森本さんは床柱などの高級木材ばかりを扱っている。それ以外の案件があると、仕事仲間などに紹介しているという。得意分野の棲み分けというか、共存共栄の精神だ。
 私は『Japanist』第21号で上甲晃氏が書いた山形県銀山温泉の旅館を思い出した。地域と共生するために、棲み分けをしているのだ。おみやげなど、何から何まで売っている大型旅館がその地の商店を潰したあげく、地域の文化を破壊した事例はいとまがないが、いわゆる「利己」の商売はやがて自分の首をも絞めることになる。なぜなら、その地域が廃れれば人を引き寄せる力を失うからだ。森本さんはそういうことを知ってか知らずか、自然体で共存共栄の道を選んでいるように思えた。
 吉野の森も見せていただいた。枝打ちと間伐によって、節のない美しい銘木ができ上がる。手間を惜しまず、長い年月をかけて……。安い建築材が海外から入ってきて久しいが、どんな時代になっても残るのは本物だろう。そういった、当たり前のことを再認識することができた。
 一方で、植林されたまま放置され、今では荒れ果てた山々をたくさん目の当たりにした。森の荒廃を招いた元凶は、当時の国策である。もちろん、国だけを悪者にしてはいけない。それを看過した国民の不作為も忘れてはならない。
 前回書いたように、その後、われわれ一行は高野山を目指すのであった。
(140623 第510回 写真上は吉野の森で、同行の人たちと。中は私が購入したヒノキの板。下は森本さんの会社の倉庫。土壁で天上が高い。夏は涼しく、冬は暖かいとか)

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