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紺碧の将

ひとつひとつを大切に

2014.04.14

海の足 ときどき社員たちに言う。「一年前を振り返り、その時と同じことをしているという実感があったら、それは実質的に後退しているということだ」と。

 本来、人間は時の経過とともに、学びや体験を生かし、「より良く」なっていくことになっているのだと思う。もし、時とともに悪くなっているとすれば、それは何かが根本的にまちがっている証拠。病気が「生活の仕方が悪いよ」と本人に警告しているのと同じように、以前のある時点と比べることによって、自分の生き方がいいか悪いか客観的に判断することができる。

 では、時の経過とともにより良くなっていくにはどうすればいいのだろうか。

 それには、特効薬はないと心得るべきだ。「手っ取り早く」は、いい結果をもたらさない。世の中には、「手っ取り早く」何かを得るためのハウツーものに満ちているが、どっこい、多くの人がそれによっていい結果を得ていないのを見ると、やはり地道にコツコツとやるべきことをやる以外にないのだと思う。

 一日をどう生きるか。結局、それに尽きる。それは、一瞬一瞬をどう生きるかにもつながる。一日1ミリちがえば、1ヶ月に3センチ、1年に36センチ、3年で1メートルくらい差が生じる。

 私は週に一度くらい、東京と宇都宮を往復する。新幹線は使わず、ほとんどの場合、湘南新宿ラインを利用する。所要時間は約1時間半強。読書には恰好の時間である。

 そこで、車内を見回すが、本を読んでいる人は一車輌につき、2人か3人くらい。他はスマホを見続けているか喋っているか、せいぜいマンガか週刊誌を読む程度。

 片やテーマを決めて学び続け、片やSNSやゲームに夢中になる。この両者のちがいは時を経るにつれて、ことのほか大きくなると思う。1年、2年、3年と続くほどに差は開いていくはずだ。

 駅を利用する時、私はなるべく階段を歩く。統計はとっていないが、周囲を見る限り、95〜97%の人はエスカレーターを使っている。これも同じように、毎日階段を上り下りする人とエスカレーターを利用する人とでは、数年後、大きな差になることだろう。なにしろ、私は目の前に階段があると、「ありがたや」と思ってしまう人間だ。

 その他、日々、私が続けていることは、一般のそれと異なることが多い。

 元来、優れた能力をもっているわけではない私が、好きな仕事を好きなようにやっていて楽しく暮らせるのは、棚からぼた餅が落ちてくるのを待っているからではない。好きでやっているとはいえ、一瞬一瞬を大切にしたいと思っているからにほかならないと思う。もちろん、上には上がいる。何かを得れば、それ以上に自分の未熟さを痛感させられることになるのでけっして舞い上がっているわけではないが、驚くほど多くの人が惰性で生きているように見える。だから何? と言われれば、返す言葉もないが。

 一行三昧、行住坐臥、壺中日月長、歳月不待人……。ふだんの生活こそ、修業の場だとする禅語は数多いが、修業などと肩肘張ったとらえ方をせずとも、日一日をどう生きるかということは、きわめて重要なことだと思う。また、それを考えずして、楽しい人生はありえないと思う。

 と、たったいま我が家の愛猫・海に説諭したところである。足を揃えて聞いているから、海はほんとうにエライ!

(140414 第500回)

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