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高橋克法の季節がやってきた

2013.07.15

高橋克法 いよいよこの男の出番、到来だ。高橋克法氏が参院選に自民党から立候補、次の日曜日に有権者の審判を仰ぐ。

 高橋氏と初めてお会いしたのは、かれこれ10年近く前のことだろうか。とてもヘンテコな友人・高久カズオさんから「近くにスゴイ政治家がいるから会ってよ」と言われ、シブシブ会うことにした。聞けば、宇都宮市に隣接する高根沢町の町長だそうだ。正直、名前を聞いたことがなかった。〝どうせ大したことはないんだろうなあ。でも、カズオさんの頼みとあってはむげに断るのもなんだしなあ……〟とものすごく傲慢な心持ちで約束の場所へ出向いて行った。

 ところが、会ってすぐ、〝この男は本物だ!〟と思った。と同時に、なんて傲慢で失礼な勘違いをしていたのかと自分を恥じた。

 以降、当時出版していた『fooga』という月刊誌に連載をお願いし、交誼をいただくようになった。

 高橋氏は文章力も素晴らしい。それ以上に、数々の改革(それも住民目線の)をやりとげていたので、書くべきことが山ほどあった。毎回、それを読むたびに唸らされた。そうか、これが自治体の首長の役目だよなあ、と。

 その後、私は中田宏横浜市長(当時)に取材する機会があり、意気投合した。その1年後、もう一度、『fooga』で中田氏を紹介したいと思ったのだが、単独インタビューではなく、同じような改革派首長とセットで取材しようと思った。そこで浮上してきたのが、くだんの高橋氏であった。

 なにしろ、国内最大の自治体である横浜市の市長と人口3万人程度の小さな町の首長という対比だけでも面白い。

 しかし、規模はちがえども、やるべきことは同じだということが、二人の取材で明らかになった。二人の肯定的かつ積極的な取り組みだけに焦点を当て、『夢のある話をしよう』と銘打ったその掲載号は、自分でもなかなかのできばえだったと自負している。

 その後、『Japanist』第4号でも高橋氏を取り上げた。タイトルは、『「ないものねだり」から「あるもの探し」』。そのキャッチフレーズは、高橋氏がつねづね唱えていたことであった。学生時代に〝大人たちのやっていることはおかしい〟と社会に対して意識をもったことは中田氏と同じ。その後、彼は政治家の秘書になり、やがて高根沢町町長に。あくまでも住民の立場にたった政策を推し進めるが、かといって社民党や共産党や生活の党やみどりの風や民主党のように、本来働ける人まで依存症にし、国の負担を限りなく増大させる政策、すなわち怠惰になることを助長するような政策ではない。基本は、「働きざかりの人は懸命に働き、必要以上に見返りを求めてはいけない」ということ。こういうことをストレートに言える小さな自治体の首長はあまりいない。

 立候補が決まった後、一度だけお会いした。そのとき、高橋氏はこう言った。「自民党公認を決める最終のスピーチで、高久さんが『Japanist』で書かれた岸信介の文章を参考にさせてもらいましたよ」。

 おそらく、高橋氏も戦後史の中で岸が果たした功績を認めているのだろう。自民党幹部の前で堂々とスピーチをし、候補者として選定されるに至った。

 現在、聞くところによれば、選挙情勢は優勢らしい。このままの勢いでまずは国会議員の座を勝ち取ってもらいたいものだ。彼なら、この国のために大いに働いてくれると信じている。

 ただし、ひとつだけ懸念がある。

 情に厚すぎることだ。自民党の力によって当選したことを過度に意識し、その後、自民党の言いなりにならなければよいが、という懸念である。

 受けた恩を返すのは、人として当然のことだろう。しかし、政治家はちがう。時には非情にならなければならない。結果を残せるか否かは、リアリストになれるかどうかではないか。自民党の力を借りたから当選できたと意識し過ぎるがために、本来やらなければいけない仕事ができなくなるのであれば、それこそ本末転倒も甚だしい。

 もちろん、党の言うことにすべて反対してほしいというわけではない。必要な政策もあるだろうし。さらに、地元の声に耳を傾けることも大切だろう。しかし、それらには程度問題がある。せいぜい、全体の1割程度に抑えておくべきだ。あとは、どんなに軋轢が生じようとも、大喧嘩になろうとも、除名されそうな雰囲気になっても、支援者たちから嫌われようとも、毅然と、そして粛々と自らがやるべきことをやるのみである。

 以前、このブログでフーガ・パーティーの後の二次会での出来事を書いたことがある。日本画家の松本哲男氏が急逝された後に書いたものだが、もう一度掲載したい。

 

──とあるバーで酒を飲んだ。松本哲男といえば、知る人ぞ知る、とんでもない酒豪。

 そのとき、いっしょに繰り出したメンバーは、宮大工の小川三夫棟梁、餃子のみんみんの伊藤信夫会長、高根沢町長の高橋克法氏、そして私の5人だった。

 いいかげん酒がまわってきた頃、画伯は突如、いちばん端に座っていた高橋町長を罵倒し始めた。その日のパーティーでのスピーチがひどかったと言う。

 しかし、高橋町長のスピーチはたいへん素晴らしかった。それは私が保証する。

 おそらく、画伯は「素晴らしすぎて」悪態をつきたくなったのだろう。面と向かってさんざんこきおろした後、「だから政治家はダメなんだ」と吐き捨てた。

 その直前、小川棟梁から「あんたには合わないからそんなのやめろ! 芸の肥やしにもなんにもならねえ」と言われたことの腹いせに八つ当たりしたのかもしれない。当時、画伯は東北芸工大学長就任が決まった後だった。それを「似合わないからやめろ!」と初対面の小川棟梁に言われてしまった。宮大工はヤクザもびびるというから、画伯もびびったのかもしれない。隣にいた伊藤会長は、終始、えびす様のような表情でにこやかに聞いていた。

 そのときの高橋町長はじつに立派だった。面と向かって罵倒されても眉ひとつ動かさず、じっと聞いていた。反論もしなかった。もののふの風情だった。──

 

 そのときの一幕を私はよく思い出す。

 人間にとって、なかなか得ることが難しいもののひとつが不動心だ。褒められても面罵されても微動だにしない心、そういう精神のもちぬしは滅多にいるものじゃないが、高橋さんはそういう境地に近い位置にあると思う。

 高橋さんの人脈はとても広範で、建築家の隈研吾氏や吉永小百合の着物をコーディネートしている石田節子氏を紹介してくれたのも彼だった。

 さて、最後にこれだけは言いたい。

 高橋さんはたしかにコワモテである。優しい顔ですか? と問われれば、答えにつまり、首が右45度傾いてしまうことは必定。でも、性根はきわめて優しい人である。自立心のともなった優しさとでも言おうか。そういう人に国の政治をやってもらい、風穴を開けてもらいたいのだ。

 高橋克法公式サイト

http://www.katsunori.info/

 (130715 第439回)

Profile

高久多美男

高久 多美男

(撮影:森 日出夫)

●1959年生まれ

●1987年、広告の企画・制作を営む株式会社コンパス・ポイントを設立

●2009年、『Japanist』を編集・発行するジャパニスト株式会社を設立(2019年1月、刊行終了)

●「遊び、学び、仕事は皆同じ」がモットー。すべからく本質を求める

■本は永遠の師匠

19世紀フランス文学から20世紀アメリカ文学、さらには現代日本文学。歴史(特に日本近代史)、あらゆる生活・芸術分野から政治・経済の分野まで、本には強いな愛着を示す

■No Music, No Life

あらゆるクラシック音楽と1950年代以降のジャズ、R&B、60年代以降のロック、ワールドミュージックなど、とにかく雑食

■生涯、美を求めたい

桃山から江戸にかけての日本美術、岡倉天心一派以降の近代絵画を特に好む。ヨーロッパの近代絵画など、こちらも雑食

■敬愛する歴史上の人物

尊敬する人物は大久保利通。ほかに幕末から明治にかけて活躍した男たち。戦国武将では武田信玄、戦後の政治家では岸信介

■思索の遊び

禅、儒学、老荘思想、マキャヴェリズムを組み合わせながら、独自の思想を構築中

■いやなもの

共産主義や日教組などの極端な左翼思想(極端な右翼も嫌い)、地球市民幻想、新興宗教

■その他

日常的に走る他、毎年夏、山に登る。体型はずっと変わらず。便利なことよりも美しさに価値を見いだす

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