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紺碧の将

イメージする楽しみ

2007.12.15

 プルーストの『失われた時を求めて』の中の名セリフ。

「美しい女たちのことは想像力のない男たちに任せておけ」。

 かなり婉曲に、想像力のない人はつまらない、と言っているのだと思う。

 前回に続き、京都ネタを。

 東寺の境内で、源頼朝や足利尊氏や豊臣秀頼や徳川家光などがその場にいた時のことを思いめぐらし、アブナイヒトになっていたと書いたが、不覚にも二条城で再びデンジャラスな中年マン(気持ちの上では自分を中年などと思っていないが、事実はまぎれもなく……だ)になってしまった。ただし、ここではワサブローさんへの取材の1時間前に行ったという条件が、途中で覚醒を遮断させるという僥倖?をもたらした。それがなければ、何時間もぼ〜〜〜〜〜〜〜っとしていたかもしれない。

 さて、二条城。中学3年の修学旅行以来である。4年ほど前に一度訪れたが、残念ながら修復の最中で観覧はかなわなかった。

 二条城と言えば、ご存知、徳川慶喜が大政奉還をした大広間がある城である。1603年、関ヶ原で西軍を破り、ほぼ天下を手中に収めた徳川家康が、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営し、3代将軍家光が伏見城の遺構をを移すなどして完成させた城である。

 うぐいすを鳴かせながら廊下を歩くと、狩野探幽など桃山文化の絢爛たるふすま絵が目に飛び込んでくる。当時、権力に保護され、権力の示威のために使われていたことを狩野派の絵師たちはどのように思っていたのだろう。もっとも、それを言ったら、いにしえの芸術家は多くがそうであるのだから、きりがないかもしれない。

 やがて、大広間の前に。

「おー、ここで慶喜は政権を朝廷に返還したのか」と想念が頭を渦巻く。もちろん、それを画策した立て役者は坂本龍馬など、憂国の志士たちであった。しかし、政権は返還されたものの、その後、鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争へと発展し、竜馬たちの危惧は現実のものとなっていく。

 わずか1時間で紅葉まっさかりの二条城を見ようという性根がいやらしいと悟ったのは、門をくぐってすぐのことだった。あの広い城内のどこへ行っても、美しい木々と建築物の組み合わせが「これでもか!」とばかり目に飛び込んでくる。どんな美術展も遠く足下に及ばない、圧倒的な迫力の美が眼前に繰り広げられていた。正直、こういう光景を日常の風景として見て育った人の情感はちがうのだろうなと思わざるをえなかった。美しいものは力を持っているのだ。

 私は途中そそくさと歩くスピードを速めて門を出、ワサブローさんの待つ町屋へと急いだのである。

(071215 第26回 写真は二条城本丸 )

 

 

 

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