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紺碧の将

理想をもったリアリスト

2013.05.01

リンカーン

 

 また映画の話題で恐縮だが、今回は『リンカーン』について。

 リンカーンと聞けば、南北戦争、奴隷解放、「For the people〜」という有名な演説、暗殺という具合に連想するが、実のところ、あまり詳しく知っていたわけではない。

 あの時代、300万人とも400万人とも言われた黒人奴隷を解放するということが、いかに難しい問題であったか、この映画を見てあらためて思い知らされた。

 リンカーンがなぜ、それを実現することができたのか。

 それは、彼が「理想をもったリアリスト」だったからにほかならない。

 理想をもつこと、これはとても大切なことだ。しかし、ただの理想主義では事が成就しないのは歴史を見れば明らか。小事を捨て大事を取る、あるいは清濁併せ呑む懐の深さがないとどんな高邁な理想も絵に描いた餅になってしまう。

 その点、リンカーンは、したたかだった。

 今回の映画は、上院で可決された奴隷解放の修正法案が下院で議決されるまでの28日間を描いたもの。法案を通そうとするリンカーン率いる共和党に対し、民主党は執拗に反対する。共和党は先の選挙で勝ったものの、法案を可決するには3分の2以上の賛成票を得るという高いハードルをクリアしなければならない。

 事前の票読みで、20票足りないということがわかってからのリンカーンたちの戦術がこの映画の肝だ。失職することが決まった民主党議員にはポストをエサにギリギリの交渉をしたり、正論が通りそうな議員には真っ向からぶつかって相手の判断に委ねる。まさしく清濁併せ呑むリアリストであった。もちろん、アプローチは多々あれど、黒人奴隷を解放するという大目標への信念はわずかほども揺らぐことがなかった。

 スティーヴンスという大物フィクサーの存在感も圧倒的だった。議会で敵の挑発にのらず、前言を覆すしたたかさ、また、駆け引きに応ずる民主党議員に対し、一方的に高圧的な態度で丸めこんでしまう胆力には、思わず息を呑んでしまった。

 さて、「理想をもったリアリスト」と聞いて、すぐに思い出すのは大久保利通である。

 私は『Japanist』に「偉大な日本人列伝」という連載を書いているが、その第1回目は大久保利通だった。もちろん、歴史上の人物でもっとも好きだからでもある。

 幕末以降から明治にかけてもっとも重要な分岐点はといえば、私は明治6年の征韓論争であると思っている。鎖国を続けていた朝鮮を力尽くで開国させようという征韓論派と、今は外国に軍を向ける時期ではなく、国力を蓄える時期だとする反対派の対立である。その対立は、そのまま「西洋を実際に見ていない者たち」と、岩倉使節団で西洋を訪れ、「彼らの力をまざまざと知ってしまった者たち」の対立でもある。

 今思えば、「なぜ、征韓論?」という素朴な疑問がわき起こってくるにちがいない。どうみても、余計なお世話だろう、と。それまで長い間、鎖国をしていた日本がとやかく口を挟む立場ではないだろう、と。

 あれは、廃藩置県によって職を失った200万人以上の武士階級の不満のはけ口という意味合いがかなり濃かった。つまり、国のためではなく、一部の「元・既得権益者」のための策略である。

 結局、大久保や伊藤博文、岩倉具視などの反対派が廟議で勝ち、征韓論派はすぐさま参議を辞職。それぞれが故郷に戻り、その後、各地で反乱を企てた。明治7年の佐賀の乱に始まり、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱、そして明治10年2月に勃発した西南戦争が終わるまで、内戦は4年近くも続いたことになる。その間、大久保は西洋列強の脅威をかわしながら、よくも近代国家の礎を築いたものだと感心するばかりである。

 当時、もしも大久保なかりせば、日本は武士の国に戻って西欧にやられたか、あるいは近代国家創建に遅れをとり、不平等条約改正は相当遅れたことだろう。

 いま、日本の政治家で「理想をもったリアリスト」はいるだろうか。

 何度も書くが、山田宏、中田宏両氏に期待したい。

 彼らならリンカーンのような信念に裏付けられた、一世一代の大勝負ができる。そして、「決められない政治」の代名詞だった日本の政治を根底から変える力をもっていると信じている。

 

 ところで、奴隷解放が実現された後、黒人たちはどうなったのだろう。素朴な疑問である。それまで牛馬のごとく使われていた黒人たちが、「さあ、今日から自由の身ですよ」と言われても、自力で生活の糧を得ることはできなかったはずだ。そういう人が300万人も400万人もいたら社会はどうなるのだろう。

 残念ながら、映画ではそのことに触れられていなかった。

(130501 第420回)

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