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紺碧の将

極貧のなかの気品

2013.02.22

アフリカの子ら アフリカで最初に訪れた国・ジンバブエについて書いてみたい。

 1979年に発表されたボブ・マーリィの傑作アルバム『Survival』。そのアルバムのタイトルのバックには、奴隷船に積み込まれた大勢のアフリカ人が描かれ、タイトルの上下にはアフリカにある49の独立国の国旗がならんでいる。

 そのアルバムのなかに『Zimbabwe』という曲がある。ジンバブエ共和国はそのアルバム発売の翌年に誕生することになるが、アフリカ50番目の独立国の誕生を、ボブ・マーリィは心待ちにしていたのだろう。

 ジンバブエの前身は、南アフリカでダイヤモンドの発掘権を得て一躍大富豪にのし上がったイギリス人、セシル・ローズが自身の名を冠してつくった白人支配国家・ローデシアである。セシル・ローズは「アフリカのナポレオン」という異名があったくらいだから、権力欲は並大抵ではなかったらしい。

 めでたく独立を果たしたジンバブエだが、その後、どのような変遷をたどったのだろうか。

 ボブ・マーリィの期待もむなしく、現在でも世界の最貧国のひとつから抜け出せないでいる。2007年の平均寿命は約38歳で、世界でも最悪のレベル。乳児が1歳までに死亡する率は65%を超え、人口の約30%がエイズに感染している。

 経済的にもボロボロだ。独立当初、1ジンバブエ・ドル=1USドルだったが、間もなく急激な通貨下落が始まり、2度のドミノを経過したにもかかわらず1USドルが1京ジンバブエドルまで下落し、2009年に財政破綻している。その後、通貨はUSドルになっているが、当時の数億ジンバブエドル札がおみやげ代わりに売られているから驚きである。ゼロがあまりにもたくさんあって、数えるのが面倒くさい。典型的なハイパーインフレだった。通貨の信用が下がること(=政府の信用が下がること)がいかに過酷なことか、思い知らされた。

 前回のブログで、団体ツアーを利用してアフリカへ行ったと書いたが、いくつかのメリットがあった。なんと、今回、現地の小学校を訪れることができたのだ。チノティンバ・ガヴァメント・スクールという、全校生徒約1800人のマンモス校。自由旅行ではけっしてありえない。

 一行はトラディショナル・ダンスの授業を参観したのだが、子どもたちの身体能力とリズム感の素晴らしさに圧倒された。間断なく、そして激しく動く様子を見ていると目が回りそうだった。シンコペーション(裏打ち)のリズムにうまく体を乗せ、楽しそうに踊り、演奏していた。その後、子どもたちと交流をした。ちなみに、小学校は義務教育ではなく、1学期30ドルくらいの授業料を納めるらしい。もちろん、現地の人たちにとって相当な負担だろう。

 イギリス統治下時代の影響もあって、みな制服を着用している。それが、気品を感じさせる。

靴ひもの子ども 例えば、右の写真。どお? 小学1年生くらいの子どもだが、キチンと屈んで靴ヒモをしばっている。はたして、日本でヒモのある靴を履いている子どもはどれくらいいるだろうか。ややもすると、大人でさえ靴ヒモのない、ズックのような革靴を履いている……、と書くと、あらぬ方向へ話が進んでしまうので、話を戻す。

 ジンバブエがどれくらい貧しいか、であった。

 陸路、ボツワナへ渡るとき、複写式の出入国カードを1枚ずつ使ってほしいと言われたのだが、その理由はなんと紙不足だった。政府に予算がなくて、満足に紙が買えないのだという。政府の備品でさえそんな具合だから、下々の生活は推して知るべし。

 が、そういう状況下にあって、子どもたちの笑顔は一服の清涼剤だった。どの子どもと目があっても、澄んだ瞳で笑顔を向けてくれる。みな、無邪気で元気で人なつこい。もちろん、大きくなるにつれ、現実に直面し、無邪気なままでいることはないだろう。しかし、人生の黎明期に無垢な心のままでいられるというのは、とても価値のあることだと思う。

 「なぜ、日本はとても豊かなのに、この子たちと比べたら目に生気がないのだろう」そう思わずにはいられなかった。どうしてなのだろう、と。おそらく、日本に生まれたことの僥倖を親も教師も教えていないからではないか。このことについては、政治家やマスコミや教職者をはじめ、すべての国民が考えるべき問題だと思う。

 

 貧しさをありのままに受け入れて 無邪気に笑うアフリカの子ら

 (130222 第403回 写真は、チノティンバ・ガヴァメント・スクールの児童)

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