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紺碧の将

松本城と街の歴史考察

2007.08.20

 北穂高登頂が叶わなかったので、そのかわりとばかり松本城へ行った。

 松本城は3度目である。

 やはり城がある街はどこかしら空気がちがう。凛としているのだ。城ばかりではなく、他のいいものも残そうという空気になるのだろうか、松本の中心街を歩けば、そこかしこに歴史の1ページをかいま見せる建物や碑が建っている。近年、私はそういう街に惹かれる。パリを筆頭に、ヨーロッパの各都市はほとんどがそういう風にして都市の風格を築いてきた。

 取り壊しが決まっていた松本城を遺そうと運動をした市川量造の石碑が城郭の一角にあるが、市川の言葉がいい。

「旧物の長所を取り上げ、利用し生かす。短所は改める事が大事なことだ」

 誰かがその街のことを真剣に考え、行動する。後世の人たちは、彼の功績を認め、称える。この連綿とした営みの蓄積にこそ、街の風格というものが現れるのだと思う。

 私が住む宇都宮市はどうだろう。宇都宮城の築城が平安時代であることや、藤原定家に『百人一首』を編ませたのが宇都宮頼綱であることから判断すれば、少なくとも街としての歴史は千年以上に及ぶ。

 しかし、その痕跡がほとんどない。だから、市民の多くは自分たちの住む街がとてつもなく長い歴史を有していることなど露ほどもわかっていない。その結果、自分たちの住む街に誇りや愛着を感じていない。

 住んでいるから言うわけではないが、これほど住みやすい街もあまり例がないと思うくらいに住みやすい。冬の寒さを除けば。しかし、自分たちの歴史を紡いでいこうという気概が欠如していることも明らかである。街に歴史の痕跡がなくなってしまったのは、けっして空襲や戊辰戦争のせいだけではない。そのことを『fooga』でも声高に主張し続けたいのだが、いまのところは焼け石に水状態で、先日も栃木県議会棟が取り壊されてしまった。わびしいものである。

 誰かこの流れを止められる人はいないものか。

(070820 第4回 写真は、松本城)

 

 

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