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紺碧の将

言葉をなくした日本人

2012.08.24

 前回に続き、もうひとつロンドンオリンピック関連を。

 以前から思っていたことだが、今回のオリンピックで確信が深まった。日本人が言葉を失っているということが。

 選手たちの健闘は大いに称えたい。ただし、競技後のインタビューは聞くに堪えないものばかりだった。無味乾燥で言葉がめちゃくちゃ。何を言いたいのかさっぱり伝わってこないのだ。

 特に「〜ので」の多様にはうんざりさせられた。「〜ので」は今回のオリンピックに限らず、すでに多くの日本人に感染してしまった病気のひとつである。通常、「〜ので」を使う以上、その言葉の前と後ろはある理由によってつながるはずだが、そういうことはなく、尻切れトンボで終わってしまう。アレ? と思って、膝カックンになってしまったことが数えきれずあった。

 例:「なんとかベストを尽くしたいと思ったので、いい結果につながればいいかなと」

 やがて「〜ので」を使わない選手がいると、まるで天然記念物を発見したかのように驚くようになってしまった。おそるべし、「〜ので」!。

 もちろん、このことはスポーツ選手に限らない。テレビのニュースを見ても、街頭でインタビューされた人はほとんど答えになっていない。つまり、これは国民全体の問題だと思う。

 だが、かつてマラソン選手だった増田明美さんは、自分の言葉をもっている数少ない人だ。話し言葉も美しいが、なにより言葉の背景にある自身の哲学がいい。いろいろ学んでいる方なのだろう。先日、読売新聞の人生欄で増田さんが答えていた内容の素晴らしさに驚いてしまった。ふだん、人生相談など読まないが、あの回答は名文といっていい。

 ある、日本語が堪能な外国人(名前は忘れた)が、「日本人が英語を話せないのは、肝心の日本語ができないから」と新聞か雑誌の取材記事で語っていたが、その通りなのだろう。そもそも自国語が操れないのだから、他の言語で何かを語るなんてできるわけがない。

 本来、自分の言葉で語るべき筆頭であるはずの政治家が、ペーパーを読むようなご時世だ。悪いことをして謝罪する社長たちも、謝罪文はほとんどペーパー。社会的地位が高い人たちがあの体たらくなのだから、一般の人たちが言葉をなくしているのも仕方ないのかもしれない。

 しばしば、国際会議において、自由に発言できないのは日本人だけと言われる。子どもも大人も自国のことについて何一つ語れないと。

 まずは、手始めに、私たちが生まれたこの日本という国の特徴について、15分間くらいで話せるようになることを目指すのはどうだろう。人前で話すのが苦手な人は、2000字くらいの文章にまとめてみるとか。

 思えば、江戸〜明治期の日本人はすごかった。明治5年に出版された福沢諭吉の『学問のすすめ』は、なんと70万部も売れたという。当時の人口は4000万人弱だから、現在の3分の一以下。それなのに、それほど多くの本が売れたのだ。しかも、けっして読みやすいとは言えない本が。

 これからの日本人、どうなんだろう? 私は、ますます言葉を失っていくと思っている。いや、それは正確ではない。大多数の言葉を失った人たちと、少数の言葉をもった人たち。ここでも国民の二極化が鮮明になってくるのである。

(120824 第362回 写真は新宿御苑のスズカケ。本文とはあまり関係ありません)

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