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紺碧の将

夢か現か、あの世かこの世か

2012.07.10

 以前、この欄で、岡山からの帰り路、台風に直撃され、深夜1時に浜松で強制的に新幹線から放逐されたことを書いた。

 急遽、確保したホテルに3時間ほど滞在し、始発の新幹線で帰ってきた。なぜ、そうしたかといえば、11時から国立能楽堂で能の鑑賞をするためだった。

 田口佳史先生のご講義で、あるいは世阿弥の『風姿花伝』ダイジェスト版を読んでから能への興味が高まり、それなら近くに能楽堂があるので行ってみようと相成ったわけである。

 当日のプログラムは、狂言『柿山伏』と『葵上』という能である。

 

 新幹線はノロノロ運転で東京駅に到着し、なんとか開演の少し前に会場に入ることができた。しかし、危惧していたことがあった。ただでさえ眠気を誘うような世界なのに、睡眠時間3時間ほどで臨んで、いったい最後まで鑑賞できるだろうかと。自慢じゃないが、私は眠るのは得意だ。いつなんどきでも眠れる。世に「不眠症」という病状があるらしいが、どういうことなのかさっぱり理解できない。とにかく、私はよく眠れるのだ(もっとも、ヒポクラティックサナトリウムでの療養以後、食事の回数を減らすようにしてから、睡眠時間は確実に減ったが)。

 案の定、だった。狂言はまだしも、と言いたいところだったが、最初から睡魔との闘いで、懸命に眠りをこらえた。しかし、眠りの世界に誘われ、気がつくと天井を見て口を開いて眠っている。「これではいけない!」と気を取り直して目を見開くものの、数分もたたないうちに同じ状態に。

 後半の能はもっとひどかった。もともとが現世と来世を行ったり来たりの世界。眠くならないはずがない。能特有の細かい所作など、まったく目に入らず、ひたすら私は現実と睡眠の世界を往復していた。

 結局、能楽堂を出た後の感想は、「果たして、今日、能を見たのだろうか」という素朴な疑問だった。

 

 数日後、今度はクラシックの演奏会に出かけた。プログラムはブラームスの『ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲』とベートーヴェンの『交響曲第7番』。

 こっちは隅々まで堪能した。ご飯や味噌汁が体の細胞にすんなりしみ込むように、自然に入ってきた。『Japanist』を編集している身でありながら、能で熟睡し、オーケストラに興奮するはどうなのだろう、と我ながら訝った。

 次回は能楽堂で雪辱を果たすつもりである。

(120710 第352回 写真は、国立能楽堂入り口)

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