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紺碧の将

書店の、ある理想型

2012.02.10

 本を食べて大きくなったような私にとって、これほどワクワクさせてくれる本屋は他にない。

 昨年12月にオープンしたばかりの代官山蔦屋書店。あのTSUTAYAを経営する増田宗昭氏が、「こんな本屋を作りたかった」と思いの丈を込めて作った書店である。

 

 出版業のはしくれとして、今の書店のあり方に疑問を抱いている。本に対するリスペクトが感じられる店が急速に少なくなっているのだ。ひとことでいえば、“本屋の巨大雑貨店化”。床面積は巨大化する一方だが、「店主」の本に対する思いが出てくる余地はない。品揃えはどの店へ行ってもほとんど同じ。だから、話題の本をできるだけ短期間に効率よく売りさばくということに意識が集まらざるをえない。少し店頭に並べて売れなければ、撤去されて返品される。本は汚れ、帯がちぎれていることもしばしばだ。およそ、本に対する愛着は感じられない。

 変わり果てた姿になって帰ったきた本に対し、「苦労をかけたね」とねぎらいの言葉をかけたくなることもある。

 「売れる本を作ればいいじゃないか」と叱責されるかもしれない。売れる本ならば、大歓迎だよ、と。

 もちろん、それも一理ある。売れない本は自己満足に過ぎないかもしれない。でも、ほんとうにいいものは、短期間で理解されるのは難しいというのも真理だ。そもそも、本にリスペクトを抱き、なおかつ出版業のはしくれに連なる立場として、「すぐに売れなくても、できる限りいい本を作りたい」という意志を捨て去ることはできない。

 ヨーロッパの書店は見ているだけで楽しい。本がきちんと主役になっており、間違っても「雑貨」扱いはされていない。展示の仕方にも店主の思いがつまっているのがわかる。どの本の表紙を見せるのか、そもそもどの本をセレクトするのか。だからこそ、書店それぞれに個性がある。うちは美術に力を入れていますよ、うちは食に関する本なら自信がありますよ、と。

 しかし、日本の書店はスケールばかりが巨大化するだけで、中身はますます画一化されている。「現代人は本を読まないから、仕方ないのだ」という声も聞こえてきそうだ。たしかにそうなのだろう。以前ほど、日本人は本を読まなくなった。

 しかし、本に対する興味を失わせたのも、昨今の書店なのではないか。本来であれば、リアル空間の書店がネット書店に負けるはずはない。なぜなら、本は実際に手に取り持った感触、装幀や本文の字組、はてはその本が醸し出すオーラなどを感じ取りながら選ぶのが愉しいはずだから。もちろん、ネット書店を否定するつもりは毛頭ないし、私もときどき利用する。

 

 そこへいくと、代官山蔦谷書店は、現代の書店のあり方に一石を投じるほど強いインパクトがある。だって、あの空間にいると、自分の細胞が活性化してくるのがわかる。

 休日、若いカップルが多いのもいいことだ。

 “こんな書店が似合う人間になりたい、この書店に置いてある本に精通したい” 等々、そういう思いを抱かせるとしたら、それは素晴らしい感化装置といえる。書店の重要な社会的役割といっていい。いや、むしろ、これからの書店はそういう役割をもっと自覚すべきだ。それが書店の生き残りにも通ずると思うのである。

 さあ、代官山へ行って、本が放つオーラのシャワーを浴びよう。

http://tsite.jp/daikanyama/

(120210 第317回 写真は代官山蔦屋書店の2号館と3号館)

 

 

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