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紺碧の将

本は先生

2012.01.08

 100歳まで生きると仮定して、すでに折り返し地点を過ぎてしまった。

 今までそれなりに高性能を誇ってきた私の体も、ガタピシと文句を言い始めている。数ヶ月前、左肩が異様に痛くなり、真上に上げられない状態になってしまったのだ。知人は「五十肩じゃないですか。一年くらい続くかも」と言い張ったが、一ヶ月ほどで痛みはおさまった。ところが、そのときに腰に負担があったのか、今度は腰が痛くなってきた。これではいかんと、ストレッチやウォーキング、腹筋運動、ラジオ体操など、以前よりこまめに取り入れている。100歳まで生きると豪語しているのに、体はその気になってくれないようだ。

 と、今回はそんなテーマではなかった。

 今までの半生を振り返ると、なぜ自分のような人間が知的労働に就いて、そこそこうまくいっているのか不思議でならない。私は教育的な環境に育ったわけではないし、学歴もないに等しい。50歳になるまで、師と思えるような人に出会ったこともない。それに、刻苦勉励(ガリ勉)というものも好かない。世の中の常識もあまり信用していない。

 にもかかわらず、「感性」と「頭脳」と「勘」だけで仕事がなりたち、毎日充実しているのはどう考えてもおかしいのではないか。今までそこそこ真面目に頑張ってきた人たちが、それなりに苦労していたり、ひどい場合は青息吐息なのに、これでいいのだろうか、と考えるときがほんの少しある。

 なぜなのだ?

 と考えると、やっぱり答えはここに行き着く。

 本。

 そう、私の先生は数々の本であった。まぎれもなく、そうだと断言できる。

 

 読書に開眼したのは、小学4年生の頃。ある本がきっかけになり、本の魅力に打ちのめされ、それから学校の図書室の本を片っ端から借りて読んだ。特に好きだったのは、海外の小説や偉人伝だ。どうして日常の風景とここに書かれている風景はちがうのか、どうしていちいち目の色を表現するのか、こういう考え方もあったのかなど、毎日が驚きの連続だった。そう、当時の高久少年の心には、「!!!!!!!!」というざわめきがうるさいほどに脈打っていたのである。

 一方、日本の歴史にも興味をもった。小5の時は、すでに司馬遼太郎の新刊を買い始めていた。学校で習っていない漢字がいっぱいあったが、不思議なことにスラスラ読めた(気がする)。日本にはこんな時代があったのか、とこれまた驚きの連続であった。

 中学生になってからは世界の古典をかなり読み尽くし、高校に入ると世界の現代小説や思想に興味を抱いた。いや、思想については単なる自分向けのポーズだったかもしれない。サルトルやカミュなどもたくさん読んだが、わかったようなわからないような感覚だったから。ただし、世界の思想の最先端をかじっているという充足感はあった。

 爾来、本がなくては生きていけない人間になり果ててしまった。私にとって、本はご飯と同じほど大切な栄養源なのである。無人島に行くとしたら何を持って行くかという愚問に対して、私はサバイバルナイフなどのありきたりたモノではなく、自信をもって「本!」と答えるであろう。

 そういう人間が、今までに読んだベスト3をあげるとすれば……。

 ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』、アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』はすぐにあげられる。しかし、その次が続かない。あまりにも素晴らしい本があり過ぎて。バルザックの一篇かもしれないし、ヘミングウェイの短編かもしれない。あるいは近代日本史をテーマにした何かかもしれないし、それとも日本の現代文学かもしれない。

 3つ目が空席というのがいい。これからの長い人生のなかで、ゆっくり捜せばいいのだから。あるいは、3つ目は自分で書いてもいい。誰がなんと言おうと、これが好きなのだ、と言えるようなものを。かなり傲慢な考え方だが、そういう野望も“あり” だと思う。

(120108 第309回 写真はパリのボージュ広場に面したヴィクトル・ユゴーの家)

 

 

 

 

 

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