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紺碧の将

永谷園と東海道五十三次

2011.12.19

 サントリー美術館で開催されている「 殿様も犬も旅した 広重・東海道五拾三次」展の内覧会に行ってきた。※このタイトル、秀逸!

 広重の東海道五十三次といえば、子どもの頃の強烈な記憶がある。永谷園のお茶漬け海苔に定期入れ程度の大きさの東海道五十三次の絵が一枚入っていて、小学生だった私はそれを集めていたのだ。めでたく55枚揃い、なにか特別なモノをもらったはずだが、それが何なのか忘れてしまった。しかし、広重の風景画に感心したことはたしかだった。ついでに、宿の名前を全部覚えようと思い、子ども時分だったのであっという間に覚えることができた。周りの子どもたちは仮面ライダーカードが欲しくて、食べるはずのないライダースナックをたくさん買い込んでいたが、私は親にねだって永谷園のお茶漬け海苔をたくさん買ってもらったのである。今でもヘンな大人だが、当時もヘンな子どもだったようだ。

 その後、切手収集に夢中になり、当然のことながら国際文通週間シリーズの「東海道五十三次」にも目を奪われることとなった。日本橋、神奈川、保土ヶ谷、箱根、三島、桑名、京師など、そのシリーズに選ばれた図柄は細部まで覚えている。当時、雪景色で描かれた蒲原が最も高価だったが、私はなんとしてもそれが欲しくて母親にねだり、ついに根負けした母は珠玉の一枚を誕生祝いにくれたのだった。当時で4,000円くらいしたと記憶している。大変な出費をさせてしまったと大人になってから悔いたが、後の祭りである。今でもそれを持っているが、それを思い出すたび、申し訳ないような嬉しいような微妙な感懐にとらわれる(今では数百円に値下がりしてしまったが)。

 以上のように、永谷園と切手収集によって、私と広重の距離はぐーんと近づいたのである。

 ヨーロッパの画家たちが広重から大きな影響を受けたことは有名だ。大胆な構図とトリミングの妙、雨の描写は数本の直線のみ、家々が並ぶ様子は「八」という屋根のわずかな線だけという突飛な表現は、まさに日本人の真骨頂。人物描写によって風や気温や時刻などを克明に表す術は、西洋人にとって驚き以外のなにものでもなかっただろう。

 それにしても、子ども時分に夢中になったことは、すべて無駄になっていないなとあらためて思うこの頃である。

(111219 第304回 写真は『殿様も犬も旅した 広重 東海道五拾三次』展の図録とエアロコンセプトのバッグ)

 

 

 

 

 

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