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紺碧の将

水はいのちのキーマン

2011.08.05

 今から1200年以上前、北の勇者・アテルイは自分たちの国「蝦夷」を救うため、坂上田村麻呂に投降する。アテルイを待ち受けていたものは過酷な拷問だった。首から上だけを残し、体全体を地中に埋められ、何日も水断ちされる。水を飲めないことほど辛い拷問はないのだという。そして、アテルイは生きたまま首をノコギリで切られ、死んでいく。自分たちのふるさとを守るため……。

 高橋克彦の名作『火怨』のラストはおおむねこんな感じだったと記憶している。

 

 水は人間のみならず、すべての生き物にとってなくてはならないものだ。命を維持する、あるいは命をつなぐために必要なさまざまな仕掛けは、水なしではまったく機能しないのだ。

 『老子』では、水の重要性がたびたび説かれる。それは単純に生き物にとって必要だから、という観点ではなく、特定の形をもたず、どのような器にも応変に対応できるという柔軟性において……。暗に、型にはまった生き方を批判しているのだ。

 水は一見、何の形ももたず、低い方へ低い方へと流れていくが(つまり、へりくだるが)、一端暴れ出すと人間の力ではどうにもならないという凄さをわれわれ人類は今年の3月11日、目の当たりにしたばかりだ。

 この世の創造主は、よくぞ水という物質をつくったものだ。しかも、構成元素は水素と酸素だけで。

 

 今年のある春の朝、庭の鉢植えの花に水滴がついているのを見つけた。なんという植物かわからないが、ネコヤナギのように毛のついた花の表面に何粒もの水滴がついていた(右上の写真)。花の真横についているものもたくさんあった。どうして転げ落ちないのか、とても不思議だった。接着剤でもくっついているのだろうかと思うほどに。

 

行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず……

 

 私たちの先祖は、水の流れに無常観を盛り込んだ。

(110805 第271回)

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