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紺碧の将

過去に戻ることはいいことか

2011.07.29

 われわれ現代人は、好むと好まざるとにかかわらず経済社会の一員として存在している。そうであることを拒否して生きることはできない。いや、相当な覚悟があれば、山の中で木の実や虫を食べ、経済というものにまったく無関係のまま生涯を終えることもできるかもしれないが、それはもはや人間を止めるということに等しい。

 数年前、『三丁目の夕日』とう映画がヒットした。昭和30年代の高度経済成長に入る直前の日本を描いた映画で、現代人の多くはその時代にノスタルジアを感じた。当時まだ生まれていなかった人でさえ、感慨に浸ったという。

 では、今と比べてあの頃の方が良かったのだろうか。物はなくて貧しかったが、人の心が温かかったというが、本当にそうだろうか。

 それも一理あるだろうが、それほど簡単に結論を出せるものとは思えない。

 例えば、今目の前に二つの選択肢があったとしよう。ひとつは現代人のまま生きていくこと、もうひとつは昭和30年代にタイムスリップし、その時代で生きていくこと。

 さあ、あなたはどちらを選ぶ?

 私は断じて現代を選ぶ。なぜなら、わずか52年の人生においてさえ過去のどの時期よりも現在の方が充実しているし、愉しいから。人生の残り時間は明らかに少なくなっているが、それでもかまわない。以前、エッセイ集に「過去に戻りたいという発想はない。今がいちばん楽しくて、未来には未知の楽しみがある」と書いたが、今でもその考えは変わらない。もう一度、学生時代に戻るとか、事業を立ち上げた頃に戻るなんてまっぴらごめんだ。その頃もそれなりに楽しかったが、今の比ではない。

 ここ数年、一年の終わりに、その年の成果をまとめている。毎回、「1年でこんなにできたのか!」と自分で驚いている始末だ。ということは、1年ごとになんらかの進歩をしているということ。しかも、以前より格段に楽しみながら。

 そうなれた原因は、自分のやったことの結果でもあるが、現代という時代の恩恵も無視することはできない。だから、そのベースとなる経済がいかに重要か、わかっているつもりである。もちろん、経済がすべてと言っているわけではない。人は仕事がなければ生きられないし、それを担保するのが経済の仕組みだと言っているのだ。

 

 話は飛ぶが、江戸時代、徳川吉宗は名君のひとりと教科書で教えられたが、はたしてそうだろうか。享保の改革はたしかに財政再建に目立った成果をあげたが、産業振興政策はお粗末だった。だから、失業者が増えた。おまけに富士山大爆発や西日本の干ばつが続き、結果的になんと300万人以上の人が餓死するに至った。こういう歴史を忘れてはいけない。おそらく吉宗の改革は過去に戻ることだけだったと思う。一見正しいことが、とてつもない災いを引き起こすことがあるのだ。

 右上の写真は奈良市にある「なら町」という昔ながらの町並みが残っている界隈の雑貨店だ。なかなか風情のある趣であるが、見方を変えれば経済成長の波に取り残された姿とも言える。

 現代的な商店街とこういう古風な町並み。さあ、住むにはどっちがいいだろう。そういうことを考えるのも、自分の価値観を知る上で役に立つ。

(110729 第269回)

 

 

 

 

 

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