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紺碧の将

ポピュリズム(大衆迎合主義)が猛威を振るう現代を予見した書

file.027『大衆の反逆』オルテガ・イ・ガセット 神吉敬三訳 ちくま学芸文庫

「権力者は民衆を抑圧する」という概念が定着して久しい。そういう時代が長く続いたことはたしかだし、独裁政権や共産主義政権は今でも民衆を蹂躙している。チベットやウイグル自治区の現状はその典型だ。香港やロシアでの命懸けのデモは、権力者の横暴が厳然としてあることの証である。

 しかし、民主主義国家においては様相が異なる。本来、民主主義は、一人ひとりの選択(投票)によって政治を担う者を決めるというシステムだが、今は「一人ひとり」の権力が肥大し過ぎているようだ。どの政治家も民(有権者)の意向を無視することはできず、過度に迎合するようになってしまった。

 選挙のたび、公約が〝甘い餌〟だらけになっていることは明らかだ。国家を運営するためには、苦い薬も必要なはずだが、票欲しさに甘いモノだけをばらまく。予算はないからと、将来の世代に借りながら。これでは、責任ある政治とは言えず、やがて破綻することは目に見えている。

 オルテガ・イ・ガセットが1930年に刊行した『大衆の反逆』は、現在の世界の政治情勢を予見しているかのようだ。とりわけ日本の政治におけるポピュリズムを。政治家の一挙手一投足が監視され、少しでも気に入らない発言をすれば、よってたかって攻撃し、残忍なまでに追い詰める。個人の権利を楯に、少しでも気に入らないことがあれば声高に批判し、自分の意見を通そうとする。匿名性を得て、大衆は限りなく傲慢になった。まさにオルテガが警鐘を鳴らした社会そのものではないか。

 この本が刊行された1930年といえば、世界大恐慌の翌年である。巷には失業者があふれ、やがて経済のブロック化、世界大戦へとつながっていく。大衆(=一人ひとり)がこれほど大きな力を持つことなど、誰も想定できなかったはずだ。そういう時代にあって、やがて大衆の反逆が起こると予見したオルテガの慧眼にあらためて敬服する。

 オルテガは、大衆を次のように定義する。

 ――大衆とは、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。

 人間を根本的に分類すれば、次の二つのタイプに分けることができる。第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんらの特别な要求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々である。

 

 じつに手厳しい。ボロクソである。大衆に対する嫌悪感が行間から伝わってくるようだ。

 オルテガの言うとおりだろう。自らは社会に対してなんらの貢献をしようとせず、得ることばかり考えている。そういう人が何千万人といたら、社会の運営はやがて息詰まる。

 しかし人間とは面白いもので、その他大勢がそうであっても、必ずごく少数の人が危機意識をもち、公のために尽くそうとする者が現れる。オルテガはそういう人を「選ばれし者」、つまりエリートと定義する。

 ――選ばれたる人とは、自らに多くを求める人であり、自分の生は、自分を超える何かに奉仕するのでないかぎり、生としての意味をもたない。

 

 エリート(貴族とも表現している)は、自らの我欲を満たすことだけを考えるのではなく、むしろ社会のために尽くすことで充足感を得る人のことを指すと言うのだ。やむにやまれずやっているともいえるが、社会のために尽くす自分であることで幸福を感じる人種と言い換えてもいい。

 オルテガはまた、社会が高度化し、一人ひとりの役割が細分化し、専門家することによる弊害も予見している。つまり、専門家はある分野には通暁しているが、それがために社会全体を見渡すことができず、判断を誤るというのだ。「今日、かつてないほど多くの学者がいるにもかかわらず、1750年頃よりもはるかに教養人が少ない」と嘆いているが、現代はその傾向が強くなるばかりだ。なにか問題が起これば、必ず「専門家」とか「有識者」と呼ばれる人たちが登場し、〝対策〟を施すが、ことごとく場当たり的で、近視眼的、対症療法的である。それらによって、社会はますます閉塞感を強めている。

 ……と、ここまで書いてきて、ひとつの疑問が浮かんでくる。自分は大衆の一人ではないと思い込んでいることだ。しかし、私は政治家ではないし、社会のために奉仕しているとは言い難い。オルテガの言う大衆の範疇に入っていると考えてよさそうだ。

 しかし、断固としてそうはなりたくない。であれば、どうすればいいのか?

 オルテガの定義に戻れば、答えが出ている。つまり、「おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようと」しないことであり、「自らに多くを求め、自らの生の計画をもち、実現しようと努力し続ける」こと。

 オルテガの言う大衆の一員には死んでもなりたくない。そう心を新たにできたことは、本書を読む最大の成果である。

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