死ぬまでに読むべき300冊の本
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紺碧の将

金と欲の妄執が烈しく渦巻く

file.026『ペール・ゴリオ』オノレ・ド・バルザック 鹿島茂訳 藤原書店

 満を持して真打ちの登場である。

 オノレ・ド・バルザック。この人ほどケタ外れのパワーを全開にして濃密な人生を生きた小説家はいまい。すべてに圧倒的だ。

 本書の解説で訳者の鹿島茂がこう書いている。

 ――この世には2種類の人間がいる。バルザックを読んだ人と読まなかった人。バルザックを読んだ人は、読まなかった人に比べ、人生を何倍にも濃縮した時間を生きたことになる。

 まったく同感である。もし私がこれまでバルザックを読んでいなかったら? 人生が良くなったか悪くなったかはわからないが、人間を見る目は相当違っていただろう。

 

 バルザックの膨大な作品群は、まとめて「人間喜劇」と呼ばれている。それぞれが独立していながら、登場人物や物語の背景は重複しており、それぞれが光と影のように関連し合っている。

「人間喜劇」を深遠かつ複雑にしているのは、人間再登場法と呼ばれる手法を駆使しているからだ。つまり、ある人物がいくつもの作品に登場する。しかも、その都度、視点が変わる。それによって、ある一方向から描写しただけよりも格段に人物造形が立体的になる。

 バルザックは筆がのってくると、一日20時間くらい書いていたらしい。研究者によると、「人間喜劇」に登場する人物は合計2472人。登場人物辞典や家系図や作品内年表の他、攻略本まである。バルザックを本気で研究しようと思ったら、いさぎよく一生を差し出さねばならないだろう。それらの膨大な作品群を紐解くことにより、人間という底なし沼のように不可解な生き物の正体が白日の下に晒されるのかもしれない。

 バルザックの作品の特徴を簡潔に表現すると、「人間の欲」といえる。特に金と愛欲。デリバティブのような金融派生商品がバンバン飛び出してくる。バルザック自身がそういう人間だったのだろうが、なるほど人間は一筋縄ではいかないということがわかる。私は、いまでも歯の浮くようなきれいごとを聞くと体がムズムズしてしまうが、バルザック体験によるものと思っている。

 

『ペール・ゴリオ』は、一般的に『ゴリオ爺さん』の名で親しまれている。バルザック生誕200周年記念に藤原書店から刊行された「人間喜劇」セレクションでは、原題にそったタイトルを付されているため、

今回もそれに従うことにした。

 この長篇は主人公ゴリオ爺さんの美しい二人の娘、アナスタジーとデルフィーヌがその美貌を生かして社交界入りするが、父親(ゴリオ)に死ぬまで過酷な金の無心を続けるという筋書きである。娘たちに豪奢な生活をさせながら、ゴリオは薄汚いヴォケール館に住む。それでも娘の役に立つことでささやかな満足を得る。求められるまま、ただ与え続けることを我が子への愛情と勘違いしている。

 やがてゴリオは死の床に伏す。しかし、それを聞いても娘たちの関心は晩餐会に着ていく服のことなどだ。父親に会いに行くときは、金をせびるときだけ。往生の間際、ついに姿を現さなかった娘たちを呪うゴリオだが、最期は彼女らを祝福する。

 

 この作品は、グランドホテル形式と呼ばれる手法をとっている。ひとつの場所に社会のさまざまな階層の人たちが集まり、物語が展開するというものだ。冒頭、パリのうらぶれた下宿屋・ヴォケール館に住む7人の描写が延々と続く。ここを乗りきらないと、この小説を楽しむことはできない。

 この作品の時代背景は1919年前後。ナポレオンがワーテルローの戦いで敗れ、ルイ18世が即位して数年が経った頃である。世の中は徐々に落ち着きを取り戻し、未来を夢見る若者が地方から続々とパリに集まってくる。もう一人の主人公、ラスティニャックもその一人だ。当然、下宿できるところは限られている。そこで貧民窟のような安下宿屋が多数現れる。ヴォケール館もそのひとつだ。

 バルザックを読むと、社交界に出入りする貴婦人たちのほとんどが愛人を持っていることに驚かされるが、19世紀ヨーロッパ(特にフランス)において、貴族の結婚は財産と財産の合体に他ならなかった。日本の戦国武将の娘もそうだったが、フランスの貴族の娘は戦略商品だったのである。父親から持参金をたっぷり持たされ、結婚してはじめて性的に自由にふるまえた。子供さえ作らなければ、夫婦は互いに不干渉の立場をとっていたのだ。大統領に愛人がいると知っても、「だからなに?」と冷めているフランス人の恋愛観念は、バルザック仕込みなのかもしれない。

 

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