死ぬまでに読むべき300冊の本
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紺碧の将

大胆な歴史的仮説と崇高な男女の交合

file.016 『吉原御免状』隆慶一郎 新潮文庫

 

 これほど大胆で壮大、しかも緻密な時代小説があったのか!

 この作品を読みながら、何度も唸らせられた。隆慶一郎が61歳のときに発表したデビュー作『吉原御免状』のシーンの数々は映像のようにくっきりと脳裏に焼きついた。

 まず構成が緻密である。時代は徳川家綱の世。江戸幕府の政策が全国にあまねり、盤石となった頃である。舞台は色里として知られた新吉原。この縦軸・横軸に無数の斜め線が交差し、奇想天外な物語が進行する。

 肥後の山中で宮本武蔵に育てられ、二天一流の剣術を学んだ主人公・松永誠一郎は、武蔵の遺言に従って、吉原を設立した庄司甚右衛門を訪ねる。途中、何者かからの襲撃を受け、吉原には「神君御免状」なるものがあり、それが重要なものだということを知る。吉原で誠一郎は玄斎という風変わりな老人に会い、廓のなかに滞在することになる。

 山のなかで獣を相手に暮らした誠一郎にとって、吉原はまさに異世界。もちろん、女を知らない。誠一郎は玄斎のてほどきを受けながら、吉原のなかで体系化された秩序を知っていく。そして、トップスターともいえる花魁・高尾と交わる。この作品中、幾度も男女の交合が描かれるが、微に入り細に入る性描写は少しも俗っぽくない。今、巷間に流布する性の情報はどれも低次元で安物に成り下がっているが、じつは男女の営みほど崇高な行為はないと思わせる。

 これだけをもってしても、隆慶一郎という作家が、高い精神性と類まれな筆力を有していることがわかる。加えて、剣術に関する描写は迫真のリアリティがあり、剛柔使い分ける描写力には脱帽するばかりだ。

 やがて誠一郎を狙う一味は柳生一族の暗躍集団・裏柳生であることが明かされ、物語はさらに複雑さを増していく。

 家康の影武者、家康のブレーンとして名高い天海僧正の正体、凡愚の将と思われていた二代秀忠の残虐さ、誠一郎と後水尾天皇の関係など驚くばかりのプロットを数珠つなぎにし、さらには徳川幕府の差別政策によって弾き出された傀儡(くぐつ)、山伏、陰陽師、猿楽舞、遊女、巫女など独特の技能をもちながら諸国を流浪する公界往来人(くがいおうらいにん)の存在が物語に微妙な陰影を添える。吉原は遊女を閉じ込める苦界ではなく、権力の及ばない自治エリア=桃源郷であったとする作者の意図が違和感なく腑に落ちる。

 少年のように純粋で剣の達人でもある誠一郎は、女人を求めない。しかし、それゆえに多くの女性を惹きつける。先述の高尾は言うに及ばず、予知能力をもつ少女「おしゃぶ」や遥か熊野からある使命を帯びてやってきた「おばばさま」、裏柳生の手先として吉原に潜り込んでいる勝山など、誠一郎を愛する女性が交差する。高尾や勝山との交接の場面は、この作品最大の読みどころといっていい。さらに、自分の起源をたどるため、おばばさまと交わりながら夢にいざなわれていくシーンなど、印象に残るシーンは数限りない。

 最後、吉原の新惣領となった誠一郎は、ある目的を果たすため、おしゃぶとともに京へ向かう。

 この作品の続編もある。『かくれさと苦界行』も読むべし。

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