死ぬまでに読むべき300冊の本
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紺碧の将

ゴケグモのような男の滑稽さ

file.015『痴人の愛』谷崎潤一郎 新潮文庫

 冒頭から不穏な空気をはらんでいる。

「私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私達夫婦の間柄に就いて、出来るだけ正直に、ざっくばらんに、有りのままの事実を書いて見ようと思います」

いきなり告白である。最初からこの調子で開き直られては、こちらも胸襟を開いて読む以外にない。

 

 主人公の河合譲治は、浅草のカフェー(カフェではなく、カフェーという響きがいい)の女給ナオミに惹かる。ナオミはまだ15歳。自分の好みの女に育てあげ、やがて結婚しようと目論む。

 この構図、どこかで読んだことがあると思ったら、すぐにピンときた。そう、源氏と若紫である(これは男の願望なのだろうか)。

ところが、男の思惑どおりにはいかない。成長するにつれて妖艶な女へと変わっていくナオミに譲治は翻弄されっぱなし。やがて奴隷のような身になるという、哀れで滑稽な男の話である。バルザックの『ゴリオ爺さん』も娘たちに骨の髄までしゃぶられる哀れな男の話だが、こういう小説を読むたび、「男って、いったいなんだろう」と思う。かくいう私も男であるが。

 ふと、ゴケグモの話を思い出した。ゴケグモのオスは交尾のあと、メスに食べられてしまう。しかし、なんらかの事情でオスを食べられなかったメスは、物語が中途半端で終わってしまうのが気に食わないのか、ほかのオスを探して交尾する。そのことを知っているオスは、喜んで(実際どうかはわからないが)メスに食べられるというのだ。自分の子孫を残せるからだ。

 なんとも哀れな話である。自分のことに置き換えれば、その哀れさがわかる。行為のあと、甘美な余韻に浸るまでもなく、相手に食べられてしまうのだから。なんと男(オス)は悲しい性(さが)なのか。

 美女を崇拝し、火の粉が自身に落ちても躊躇せず突き進むというのは、多くの男たちの深層心理に隠された本能のひとつであると思うが、たいていの男はそれを覆い隠したまま一生を終える。だからこそ、世の中の平静が保たれているともいえる。みんなが譲治のようであったら、世の中はかなり面白く、また混沌とするだろう。

 それにしても不思議なものである。この作品が書かれたのは、大正末期。あと数年で昭和恐慌という時代である。この太平楽な小説が発表されてから約20年後、日本は世界を相手に戦いを挑む。もちろん、戦時中にこのような頽廃的な小説は世に出るはずもない。そう考えると、小説や映画の「頽廃指数」は世の中が平和かどうかとも関連してくることがわかる。

 

 

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